☆いい女☆で行こう!

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#ワタシ顔
事も笑ってゆけるのがベストだとは思う。
が、なんというか、僕はどうしても、「ワタシ顔」というのが怖くてな……
代表的には、たとえば次々に新しいグラビアアイドルみたいな人たちが出てくるが、それらが多く「かわいい」と称賛を受けていても、僕には正直「怖い」と見えてしまう。
なんというか、そのカワイイ顔は、カワイイかもしれないが、満面「ワタシ顔」なのだ、この世界に「ワタシ」というものほど注目に値しないものは他にないと思うが、むしろその「ワタシ」にこだわりきってきました、という顔をしている、それがどうしても僕には「怖い」と見えてしまうのだった。

なんというか、その「ワタシ顔」を見ていると、「私心を捨ててやり遂げてきたこと」や「私心を超えて学んできたこと」、「私心が消えて何かを愛したこと」や「私心以上に思いやりに尽くしたこと」とかが、まったくなかったのではないかと思えてしまう。
だからなんというか、たとえばプードル犬と一緒に写真に映っていても、その写真には「ワタシ顔」があるだけで、「ああ、このワンちゃんが、とても大切なものなんだなあ」という顔(人間の顔)はそこに映っていないのだ、それでいくら「カワイイ」と言われても、僕にとっては「怖い」と感じられてしまう、率直に言って「大切なものなんかゼロです」という顔だ、表情が演出的なだけでその背後には何の人格もない。
自信を持って言えることだが、仮にそういうグラビアアイドルと僕が、三ヶ月間一緒に旅をしたとしても、彼女は僕のことを何か大切に思うことはゼロだろうし、最初から最後まで厳密に彼女は「ワタシ」だけが大切なはずだ、そう考えると素直に怖いじゃないか、いくらオッパイがデカかったとしても。
僕とワタシ顔の彼女のあいだに、「人間の顔」が交わされることはないだろう、彼女は永遠に「ワタシ顔」を続けるだろうし、その「ワタシ顔」の領地を広げてくれる人に純粋にくっついていくだろう、#ワタシ顔、というタグを付けるとわかりやすいか、僕にとってその「大切なものが何もない人の顔」は怖くてしょうがないのだった。

#ワタシ顔 #私心だけで生きてきました

「私心だけで生きてきました」というのは、現代ではむしろ流行としてカッコイイという扱いになるのかもしれない、が、僕は自分の身近にそんな人を置くのはイヤだ/この世界には僕が風邪をひいただけで「ええっ、大ピンチ!」と慌ててくれる人もあるのに、わざわざそこにある「人間の顔」を否定してワタシ顔の世界に称賛を送る必要はないように感じる。
「私心を超えて○○だった」ということが、一度もなしに来たら、必然的に「ワタシ顔」になるのであって、それはごまかしようがない、私心を超えて演劇を愛していない人は、舞台上でも「ワタシ顔」のアピールにしか興味がなく、どうガンバっても「ワタシ顔」は消えないはずだ、それをカワイイとカッコイイとかいうのは、僕にとっては笑えない恐怖に思える。
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