☆いい女☆で行こう!

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#ワタシ顔2
「私心を超えて、やってこられたなあ〜」という人は、気配にもわかるし、声にもわかるし、顔にも出ているからわかるものだ。
私心に取り憑かれてガンバってきた人は、どうしても「ワタシ顔」「ワタシ声」になる一方、私心を超えて取り憑かれたようにやってきた人は、どこかワッハッハと、「人間の顔」「人間の声」をしているものだ。
そういう顔や声のあらわれを、重視する人は、ただちに改善策を求めてくるが、それは改善に前向きというよりは、単に恐ろしいことから目を背けているだけなので……しょうがないじゃん、私心だけで生きてきたことの「顔」とか「声」って、急にそんなに取り去れないよ。
自分だって、オタクっぽい人は「オタクっぽーい、付き合えない〜」とか、頭の悪そうな人は「頭悪そう、付き合えない〜」と、即断して容赦がないのだから、自分だけ逃げ回るわけにはいかんわな、「私心を超えてやってきていない」という顔と声は、「それっぽ〜い」と、他人からはどうしてもあからさまに見えてしまう、とりあえずどうしたらいいかわからんので鼻くそをほじろう。

いちいち自分を卑下していてもしょうがないので、誰もそういう取り乱し方をするべきではない。
要は、一線を引くことだと思う、「おめめパッチリでかわいい〜」というのは、それはそれだ、しかし「私心を超えてやってきていない」という顔のあらわれは厳然と存在する(言い方が荘重で草不可避)。
そもそも、「私心を超えてやってきていない」という人が、「私心を超えてやってきていない」という自分のことにブチギレするのがおかしいのであって、感情的になるフェーズを明らかに間違っている、なぜ自分ごときに立派な「人間の顔」「人間の声」が宿っているはずと思えるのか/そんな立派な生き方なんか実際してきてないやん、それ相応の顔つきと声つきになっていて当たり前やん。
「それって難しいんですよ、だって」と、何か大急ぎで言われることも少なからずあるが、重要なことは明らかにその「難しいこと」を突破してこられた方が実際世の中にはいらっしゃるということであって、その難しさについて大急ぎ自説を唱えたところで「セーフ!!」にはならんだろ、なぜ自分を大前提イケてる側に所属していると主張するに立ち回るのか、それこそ私心がライブでボンバーしている有様じゃないのか。

目安、私心を超えてやってこられた方のほうが「わっはっは」と笑っており、そうでない人のほうが「大忙し」になる。

冷静に考えて、「私心を超えてやったこと、やり遂げたこと、愛したこと」みたいなものは、そんなカンタンに人の手に得られるものではないはずだ、ほとんどの場合は「私心まがい」ていどで、われわれは頑張っているだろう、そんなカンタンに光の記憶が手に入るかよ、どうもこのあたり急にくる「万人は平等なのです……ああキレイなワタシ……」みたいなナゾの爆発力が解けない/平等ったって、顔にも声にも明らかに違うものが現れているんだからしょうがないだろ。
ためしに自分でも「ワッハッハ」と言ってみたらいいし、誰か知人男性や男子大学生にも「ワッハッハ」と言わせてみたらいい、急に忙しいゴマカシネズミみたいになっちゃうじゃないか、#ワタシ顔 と #私心を超えてやってきた顔 とでは、そういう差があるということ、これはきわめてフェアなことのはずだ。
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