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我欲支配を認める二派について

は「我欲」を生まれ持っている/我欲がないのは呼吸していない人間だけだ。
「我欲」の取り扱いは二派に分かれる、ひとつは我欲を「ぶんまわし」する派、ひとつは我欲を「ほっかむり」する派。
「ぶんまわし」派は資本主義を形成し、「ほっかむり」派は共産主義を形成した。
ごく一部の例外だけが、第三の派、「我欲に疑問を持つ」派になった、これは資本主義も共産主義も形成せず、ただ学門の徒となっていった。

「ぶんまわし」派は、我欲で堂々と競うことが正義だと信じ、「ほっかむり」派は、我欲を封じ込めることが正義だと信じた。
が、この両者はどちらとも、やがて加齢と共に、自分が信じられなくなっていく/「ぶんまわし」派は我欲を振り回してきた罪と、やがて自分が老いて敗者になる事実に耐えきれず、「ほっかむり」派は、自分が「我欲のないフリ」をしてきたにすぎないことに気づいてその罪と後悔に耐えきれなくなる。
「我欲に疑問を持つ」派は、それをぶんまわすでもなく、ほっかむりするでもなく、そうした我欲があることを自分自身にもまざまざと見て、「これがわれわれを支配している」ということに気づき、同時に「本当にその支配にほころびはないのか?」と疑う。
「我欲に疑問を持つ」派は、学門としてそれを考究し、やがて気づく、「我欲で満たされるも、苦しむも、自分限りでしかない」ということ、それが<<我欲の性質>>だということ、「わたしの我欲」に支配されているのは「この宇宙でわたしだけ」だということ、わたし自身がわたしのこだわりをやめたら、この我欲の支配は瓦解するということ/支配は本当には「性(さが)」ではなくて、あくまで自分の「恣意」だということ。

「ぶんまわし」派も「ほっかむり」派も、「我欲が人間の性(さが)である」という誤解で一致した仲間だ。

学門として考究していくと、それは性(さが)ではなく恣意だということがわかる、我欲がわれわれの恣意なのだとしたら、本当には我欲はわれわれを支配していない、支配ではないならそれをぶんまわす必要もなければほっかむりする必要もない/支配ではないなら、それはわれわれの付録、オマケでしかないのだから、堂々とおもちゃにしていてよい、我欲がない必要はなく、我欲はあってよく、それが支配していないなら、我欲はただのおふざけだ。
ここだけの話、「でもそれが人間の性(さが)ですよ」という言い方は、実は重大な罪(法の謗り)を帯びているので、オススメしない、自分の発言に長い間自分が呪われることになる、言い方は「学の浅いあたしにゃムリです〜」ぐらいにしておくほうがいい。

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