☆いい女☆で行こう!

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或る法則(最大限の警報と共に)8
は基本的に「おしゃれ」そのものは好きだし、僕自身はこれというおしゃれなんてしないが、おしゃれな女の子自体は好きだ、またTPOによってはおしゃれをしないわけにもいかないだろうので、つまり女性は今さらおしゃれベースを捨てられないだろう、世捨て人みたいになるのも現実味のない捨て鉢の話だし、このあたりを現実的にうまく整えていかないといけない。
また、何よりタチの悪いのは、「おしゃれ」というのは、ガマンしたところでカルマ度数はあまり変わらないというところだ、内心にはコンプレックスのあるおばちゃんが自分の娘に「また派手なカッコして!!」と叱ったとしても、内心では自分もあこがれてガマンしているので、増大するカルマ度数はあまり変わらないことになる、おばちゃんもしっかり同じ程度のカルマワッショイを育てることになるのだ。
だからそういうおばちゃんが、「人間は見た目じゃないのよ」と申し立てても、あまり説得力がなく、むしろ多くの人々に「正直、こういうおばちゃんにはなりたくないなあ」と思わせてしまうのだ、これは典型的な逆効果になる/それよりは、もっと精密な学門として、おしゃれということのリスクを説明したほうがいい。
「おしゃれ」というのは本来、どれだけ飾っても蠱惑的に「ならない」ということをよろこぶ文化だ、ヒマな人は語源まで調べてみてもいい/現代ではここが誤解されていて、おしゃれイコール蠱惑的、つまりおしゃれイコール「即ハボ」に近づくものだと思っている、おしゃれのリスクというのはここだ、正しい学門がないと人を陳腐な虫のエサにしてしまうということだ、「虫が騒ぐ」ような飾り立ては本当にはおしゃれじゃないということだ。

ここに、240年の歴史がある聖堂があったとして、この聖堂にはこれまでにのべ一億人が礼拝を、渾身で捧げてきたとする/この聖堂に純金のイコンを据え付けたところで、その黄金は蠱惑的にはならないだろう、それは由緒正しき正統の黄金に見える、このことは語源的に正規の「おされ」と言える。
一方、まだ建てられて何の歴史も過ごしていない、また誰も真剣に礼拝などしない形だけの聖堂があったとして、ここに純金のイコンを据え付けたりすると、それはたいへんいかがわしい、「うお、二十四金だってよ」という蠱惑的なものにしかならないだろう、そういったものはインスタ映えの「虫が騒ぐ」という人々によってターゲットにされるばかりだ。
一人の女性が、これまで240ヶ月の歴史を生きてきたとして、彼女はのべ一万回は男を尊び、愛し、おじぎをしてきただろうか、もしそうであったら、その胸元に純金のブローチが飾られても、その純金は蠱惑的にならず、正規の「おされ」になるだろう。
現実的には、現代の女性は、おしゃれをブン投げて生活していくことはできないだろう、だがこれ以上ヘンなことにならないために、そのおしゃれは「前借り」で「ツケ」だと捉えてかかるしかない/「これはこの先、女として男を尊び、愛し、奉仕することを、引き受ける覚悟を持っていますという意思表示なの」という誓いの上で、おしゃれを許容する論理的な枠を自分の中にこさえるしかない、もちろんその誓いを自らないがしろにした場合は、もうどうなっても誰も知ったこっちゃない。

男を尊ばず洋服だけを着るとしたら、ココ・シャネルにもクズ女呼ばわりされるだろう。

ココ・シャネルは、服だけ目立つ女を「下品」とみなして憎悪し、自らの仕事を「下品さと戦う仕事」と定義していた、そして明らかにファッションを男への愛や出会いと切り離さず捉えていたのだから、少なくとも現代の「男を小馬鹿にして、女たちはおしゃれ」という文化には、もし生きていたら激怒されたに違いない/「どうしてあなたは男を小馬鹿にすることしか知らず、男を尊びもしなければ愛したこともない下品女なのに、バケモノのようにおしゃれにこだわるんです?」と、ココ・シャネルに問い質されたときに破綻しない回答を用意しろ。
本旨上、これでもなお「せめてそうしよう」という範囲だ、本質は女から男に向けての尊厳のホロコーストがあったか否かだから、そのことを抜きにして女性がボロ布を着ても意味が無い、単純におしゃれより男のほうが明らかに大切ということになればそれだけで「まとも」になりうるのだが、ここで「そのつもりですよ」と言い張る女は本当にヤバいので、ひとまず話を聞いてもらいたい、服装は変えなくていいが考え方や捉え方は本当に変えなくてはならないところがある。
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