☆いい女☆で行こう!

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ホロコーストおしゃれについて

かりやすさのために大げさな呼称を採用する由、どうかあしからずご寛恕のほどを/この「ホロコーストおしゃれ」の可能性については、説明がそんなにむつかしくない。
まず現代の女性にとって、日本の男性というのはことごとくキモいのだ、それは本当にキモいからしょうがない、いくらスキンケアをして眉毛を整えてリア充路線やモテ路線を狙ったとしても、絡みやすくはなるだけで内実的にはキモいのだ、このキモさに毎日耐えている女性たちの健気さを、誰か褒めてよ、というのが現代の女性たちの偽らざる心情だと思う/僕は男性の一人としてこの現況を常に申し訳なく感じている、このキモさに物も言わず耐えていることが、日本の女性たちの栄光だと、少なくとも僕は称えたく思っている、称えるしかできないのがまったく申し訳ないところだが。
一方、たとえば女性専用車両がどうこうというのではなく、何かもっと根本的な、昔でいうアパルトヘイト的な、「女性専用の道路や電鉄を通して、男女で生活の空間を区分けしてよ〜」という隔離生活への希求があるのだが(これはホントに同情する、本当に申し訳ない)、そうして生活上の男性存在のすべてに×印をつけていくと、今度は自分が女性という機能性を具有していることも無意味になってくるわけだ/この具有の無為化強制は非常に屈辱的に感じられ、「男性たちがキモいせいで、わたしが女性であることまで無駄にされた」という怒りが生じ、「これ以上の侮辱はない」という正当な観念から、「わたしが男性を根本的に許すことはこの先も永遠にないだろう」という女性たちの立場を作っている(ただしそれは歩み寄りを否定するものではなく、ただ歩み寄りの「限度」を先に形成する)。
性機能を否定されるという、これ以上ない「許しがたさ」、この最大の侮辱空間において、しかしその苦杯を毎日飲み干しつつ生きていくしかないという中で、唯一その女性性の具有を受け止めてくれるパートナーが「おしゃれ」だった/現代の女性は、それこそ本当に死に物狂いで、「○○がいてくれるからわたしは女性でいられるの」という叫びと完全に同一の崇高さにおいて、「おしゃれがあるから女でいられるの」という中を生きているのだ、おしゃれを否定されるということは、女として最愛の男を殺害されるのと同じことなので、これは論を俟たず「ありえない」と否定されるしかない。

現代の女性は自分を誇示するためにおしゃれをしているのではなく、女として生き、この世で女として生きた時間を得ていくために、「おしゃれ」を追いかけているのだ、自分が「女」という生を享けたことを認めて肯定してくれるものが、唯一その「おしゃれ」なのだから、女性にとってこれは神聖な存在に他ならない/女性が真夜中に自室で一人でも、その胸の内で篤く信仰しているものがこの絶え間ない「おしゃれ」なのだから、この信仰はすでに血が通っており、否定されるわけにはいかない、「これだけは絶対に取らないで」と両腕の中に抱え込んでいるのがこれであって、これについて庇護されることはさしあたり無期限に保障されるしかない、「女性におしゃれを否定することは、性機能を去勢することと同じ、グロテスクな流血と汚辱の行為」と、このことは尊厳をもって重く捉えられねばならない。
この観点から正しく見直せば、女性は自ら「おしゃれ」をすることで自分の女性性を肯定することができ、この肯定があるからこそ、世にうろつく現代の男性を完全否定せずにいられるのだと言える/現代の男性はキモいので物理的に害とリスクのある「敵」だが、それを上回る「味方」が自分を支えてくれているので、女性はこの世界を否定せず生きていけるわけだ、だからもしこの世でおしゃれが衰退すれば、女性にとってこの世界は害とリスクしかない阿鼻叫喚の世界でしかなくなる……そこで戦っていくことも不可能ではないにせよ、そんなところで戦って生きることに何の意味もないという結論が先に見えている、これらすべてを踏まえれば、「おしゃれ」は偽りなく女性たちにとっての「救世主」だと定義されて明らかになる。
しかしここに来て、もう一段階裏側にありうる仮説が疑われ始めた、つまりこの「救世主が必要なほどの世の中」を創りあげたのが、他ならぬ女性たち自身ではなかったか? という仮説だ/いつのことからかは明らかではないが、女性たち自身の選択や行為によって、本来は誇りと光輝のありえた男性たちが、陰茎の生えてうごめく魑魅魍魎どもの地位にまで貶められた――そうしたホロコーストがあった――もしこのことの罪業が女性たち自身にあることが忘却され、女性たちがこの世の陰茎ども、その百鬼夜行を嘆き、自らは救世主の元にあることを誇示するふうは、その座の栄光に浴すること能わず、その見えざる欺瞞が、女性たちを奥底から暗い直観の気分に引きずりこんでいるのではないか? という可能性だ、この可能性まで含めると確かに、一部極点まで上昇した事象に出現する不穏の感触について説明が整合するというのでもある。
現代の女性たちにとって、「おしゃれ」が救世主なのは間違いなく、これを否定されることは許されない、これを剥ぎ取ったところでますますひどいことになることは確実なので、あくまで合目的的にも「おしゃれ」の権利と義務は庇護されるのが不可欠の善だろう/ただしその救世主の元において、この救世主に縋るしかないだけの陰茎百鬼夜行の世界を作り出したのが、他ならぬ自分たちであったという捉え方も、女性たちにおいて保持されてゆかねばならないわけだ、あくまでホントかどうかはわからないのだが、この「おしゃれ」の背後にはそうしたホロコーストがあったという可能性が、珍説としてでもその書庫に保存されている必要がある。

現代の女性が取り得る選択肢は二つ、1.おしゃれをして男性たちに温情を向けるか、2.おしゃれをしてなおも男性たちを惨殺するか、この二つだけだ。

冗談でなく、現代の男性はキモいので、女性たちは防犯と防御を励行しなくてはならない、防御なしに現代の男性と寝たら女性は本当にビョーキになってしまう、ここはリアルに現実的に考えることだ/たとえば西洋諸国がアフリカを植民地化し、プランテーション搾取によってその土地を荒廃させ風土病を蔓延させたというようなことがあったとしても、その恢復に歩み出す西洋人がいたとしたら、ワクチンや防護服をまとって現地に踏み入るしかないのだ、そこで原罪風味を気取って無防備に飛び込んでもあっさりビョーキに喰われるだけだ、そんなことは誰のトクにもならないし、そのような捨て鉢はけっきょく不誠実な逃避でしかないし、むしろ現地の禍々しさにさらなる一滴を追加することにしかならない。
現実的なところとしては、選択肢は「なるべく1」という努力目標で、さすがに「2は禁止」という、さしあたり罰則はない条例を定めるぐらいしかないだろう/とはいっても実際に、キモい男性をディスらずにいることや、キモい男性に温情の余地を向けることは、それがわずかなことでも現代女性にとってすさまじいストレスを与えるものなので、とてもじゃないが無理をするべきじゃない、何億円のおしゃれをしていたとしてもそのストレスは生身に強烈に負荷をもたらし、自らの精神衛生がいかに重要なものかを病床で痛感するだけになるだろう、よって僕が路上に煙草をポイ捨てする程度には、おしゃれしながらキモい男性をディスってかまわない。

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