☆いい女☆で行こう!

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「激しさ」というパラメーター

ちいちトランスしているのでぜんぜん間に合わないわけだが、まあ何だ、「激しさ」というのは重要なファクターだ。
「激しさ」というのは、決定的に人を教えるパラメーターなので、超ラブにもなるし、超ガッカリにもなる、ある意味容赦のないパラメーターだ。
どれだけイケメンふうを飾り立てることに成功しても、100人の前で「じゃあ、全力で叫んで」とやらせてみると、正視にたえない酸鼻なものがでてきて、「ダッサwwww」となってしまう/「激しさ」というものは、その人がニセモノかホンモノかをただちに暴いてしまう容赦のないものだ。
誰でも撮影してみるとわかるが、「うつ病で神経が切れた女」というような芝居は誰だってできるのだ、それはエネルギー準位を落とせばいいだけだからだ/しかしその逆、タイタニック号に乗り込んで未知の大陸に向かって叫ぶ、という演技はできないのだ、非常に痛々しいものになってしまう、それは「激しさ」というパラメーターがいかに容赦のないものかを如実に物語っているだろう。

宮崎駿はその作品の中で、航空機のエンジンがどれほど激しいものか、また本来の男たちの食事がどれほど激しいものか、また崇高さに及んだ女の裂帛の気合いがどれほど激しいものかを、よく描いている、むしろただそれだけを描きたいというような側面さえあるはずだ。
故マイケルジャクソンは、人柄としてはすさまじく穏やかだが、その全身からみなぎっているエネルギーはとてつもないものだ、われわれは彼の舞台の客席で金切り声をあげて倒れることはできても、彼のように舞台上で光を放つことはできない。
男女がそれぞれに、愛しているか、誠実か、向き合っているか、ウンタラカンタラというとき、すべてのことは一定の「激しさ」で営まれ、「激しさ」で確かめられねばならない、それは言うなれば、「アクセルを全開で踏み込んで試験しなければ、その自動車が本当に安全で高性能かを保証できない」ということに似ている。
たたずんでいる人は何も偉くなく、すべては「さあ激しくどうぞ」と言われただけで破綻し、馬脚を現すだろう/人柄としては穏やかでなければアホなのだ、しかし発揮されているエネルギーが膨大なものなら、その穏やかな人は直面するだけで人を倒してしまいかねない力を持っている。

自負はいいから、テイクオフしてみて。

美女と美少女のすべては、ボクの胸に飛び込んできてくれてかまわないのだが、「飛び込む」というならまずテイクオフしないと飛び込みもできんわな、そしてテイクオフできるかどうかにおいて、その機体が本当に良デザインで鍛えられて強いのか、そのエンジンが爆発力を持っているのかどうかがわかる。
たまに、「壊れそう」ということで自分が激しいものと勘違いしている人もあるし、中にはそういうミュージシャンまでいるような気がするが、「壊れそう」というのはボディが弱いから壊れそうなだけで、爆発力というのはそういう破裂脆弱性のことを言うのではない、戦闘機なんか涼しい顔で超音速で飛ぶじゃないか。

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