☆いい女☆で行こう!

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フィクション・クライシス
ャニーズの○○くんが舞台でがんばっていたり、宮崎駿の新作映画が「面白かった」り、人気声優の○○タソが出演するアニメが「神回」だったりする。
が、そこでジャニーズの○○くんや宮崎駿や声優の○○タソというのは、ノンフィクションの存在であって、フィクションの存在ではない。
むかし、映画「タイタニック」が流行ったとき、「レオ様」の人気が爆発的に上昇したが、作中に登場する人物はジャック・ドーソンであってレオナルド・ディカプリオではない、「ヨン様」もそうだし、今でいう「中の人」というのはすべてノンフィクションの存在だ。
僕が子供のころ、ドラえもんの声優が大山のぶ代だなんて誰も知らなかったし、そんなことに注目した人は誰一人いなかった、ドラえもんはドラえもんで、ルパンはルパンで、悟空は悟空だった、作者もいなければ監督もいないし俳優もいなけりゃ興行成績も関係ない、僕はラピュタ王族の末裔シータ王女に惚れざるをえないが、宮崎駿監督とかいう人物に何かを思うわけではない、あんな濃いオッサンがシータの知り合いであるはずがないだろ、僕が守るべきと感じるのはシータであって宮崎駿ではない。

思い返せば、僕は十歳のころからこのことを論理的に解明していたのだ、論理的に「フィクションは存在する」と言って差し支えないこと、なぜならそれは「存在が存在する」と言っているだけで、無限の時空において何の欺瞞もないこと/これはここに説明しきれないが、いわば円周率の数字のならびにはすべての数字が入っているのだから、シータの生年月日も入っているということだ、これでわかるな? わからん奴はただの勉強不足で図書館に唾を吐いたことがあるだけだ。
まあ何はともあれ、事実として「中の人」などに執着しており、フィクション世界がわからなくなっているという事実がある、これはノンフィクション世界につながれたままフィクション世界にキックされているという状態で、「フィクション・クライシス」と呼んで差し支えない。
ここにおいて、一番メンドクサイというか、一番時間の無駄になるのは、「いや、自分は自分なりに、フィクション世界がわかっています、どうたらこうたら〜」と食い下がる奴だ、こればっかりはジャマくさいので二年間アカホエザルの鳴き真似を訓練すること、こんなもんズバッと「フィクション不能です」でいいのだ、そんなところで抵抗して時間を食っていても何の意味もない。
フィクションの不能は、何の罪でもないのだが(そうかな?)、罪であろうがなかろうがとにかく本人にとってメッチャ辛く、プラスしんどく、いろいろごまかしながら絶望の中を生きねばならないらしい、回復の方法はまったく不明だが、フィクションの不能が回復しないとめっちゃキツいということを認めて進まねばならない、この危機的承認を「フィクション・クライシス」と呼ぶことにする。

フィクションの実現に決定的に進め。

別に演劇部に入る必要はない、自分が十秒間「マリアンヌでーす」と他人に接触できればいいし、自分が十秒間「わたしコロンビー警部ですがねェ〜」と他人に振る舞えれば十分だ/こんな単純なことが実は「できない」のだ、ストレスのあるキャラを押しつけるのでなくただの笑える「ネタ」としてする。
「オウ、わたしの脳みそのディープインサイド、腐ッテイルネー」と言ってみろ、それで友人が笑ってくれるかというと、実はとってもむつかしい、こんなささやかなことでもノンフィクションから離脱しないとできないからだ、「わたし」が「わたし」から離れられない、それは実はとっても絶望的なことなのだった。
できるオンナだね | comments(0) |
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