☆いい女☆で行こう!

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フィクション・クライシス2
「オウ、わたしの脳みそのディープインサイド、腐ッテイルネー」と言ってみる、それで友人を軽く――快適に――笑わせねばならない。
これ、やってみようとすると、「できない」ということがわかる、そして「できない」と感じて二度三度とやらされると、特殊な現象としての「憎悪」がやってくる、この憎悪は破壊衝動を伴っている。
いくら努力するつもりでも、努力そのものができなくなるのだ、「なんでこんなムダなことをさせられるの」「こんな侮辱的なことをさせられるなんて」と、実は合理化されただけでしかない、制御不能の強さの怒りが湧いてくる、これが湧いたらゲームオーバーだ、いくらガマンしてももうゲームオーバーになっているのは変わらない。
なぜ怒りが湧いてくるかというと、この世界を愛していないからだ、この世界が自分に尽くすべきだと思っていて、逆に自分がこの世界に尽くしているふうに感じるから、えげつない憎悪が湧くのだ、このことは他人がやっているとよく見えてわかるものだ/別にフィクションマリアンヌぶって遊ぶのは、何も不自然なことではないのだが、世界を愛していない人がやるとものすごく不自然になる、怒りが湧いてゲームオーバーだ。

「行きたくないなあ、ワッショイワッショイ」と言ってみる、たとえば歯医者に行くときでもいいし、仕事に行くときでもいい、なにか身振り手振りも加えてみていい。
「行きたくないなあ」は誰にでも言える、そこに「ワッショイワッショイ」は祭りのフィクションだから、誰にでもは言えない、きわめて微少ながら祭りの霊が胴体の肉に入り込まないと「ワッショイワッショイ」は面白くやれない。
写真に撮られるときのつもりで、両手でVサインをやってみる、これはノンフィクションだから出来る、しかし「カニのポーズ」と言われると、急にポージングにストレスが掛かるのがわかるはずだ、そのストレスが「ノンフィクションにしばられている」「フィクション世界の霊が胴体に入ってこない」ということ、これは知識ではなく感覚として知る必要がある。
フィクションにつながることとして、「遠く」「激しく」「説得力が要る」ものほど難しくなる、つまり「古代王朝の女王として命令を下す」というようなことほど難しくなる、比べると「うつ病のふり」などはほとんどノンフィクションなので誰でもできてしまうし、ノンフィクションだからあまり値打ちがなくやらないほうがいい。

フィクションがやれない奴は、実はノンフィクションもよくわかっていない。

たとえば「チームリーダーとして命令を下す」ということが、ノンフィクションだけで成り立っていると思っているからだ、それは業務命令権という権力でノンフィクション上で保証されているものだが、この権力を振り回す人間は人間として根本的に不快な奴になってしまう、だからこのチームリーダーは自分を守るためにもますます頑なに権力に固執するようになっていってしまう、そしてこの世界を愛していないということがますます明るみに出てくる。
まあ、こんなことはとても具体的なことなので、さっさとやれ、おれが出来るんだからお前もさっさとやれ/ああこんな初歩的なこと今さら言いたくないな、ワッショイワッショイ。
できるオンナだね | comments(1) |
コメント
フィクションの能力って眠りにもつながってませんかね?
よく眠れない夜は決まってお金や仕事などのことばかり考えているように思えます。
2017/12/19 11:33 AM by 刺身王子
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