☆いい女☆で行こう!

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「女心」の究極解[異なるg]

れまでのすべての知識と体験を総動員し、僕なりの最大の良心をここに傾けて、この新しく発見されたことについて話す。
おおよそ女には、「女心」と呼ぶべき、特徴的なキモチのはたらき方があり、男にはおおよそこれがない。
男が女に惚れるとき、そのこころのはたらきは「great」なのだ、女のやさしさや愛、あるいはそのうつくしさを「偉大だ」と感じて男は女に惚れる。
女が男に惚れるとき、そのキモチのはたらきは「glad」なのだ、何かをしてもらったとか、褒められたとか、何かをプレゼントされたりデートに連れられたりして「うれしい」、女はこの「うれしい」によって「自分のこころが相手に向けて開けていく」と感じる、それは錯覚なのだが自覚的にはそのように感じてしまうようだ。

ある女性歌手が歌うところの歌詞で、「うれしい、楽しい、大好き!」という語の連なりがある、これはまさに女心そのものを言い当てている/女性が「大好き」に至るためには、愛ややさしさ、偉大さといったものは必要ないのだ、ただ自分の「うれしい」の蓄積がオーバーフローすると「大好き」に至りうる。
重要な着目点は、この「glad」という女心の現象が、男には「ない」ということ、男はそれをガマンしているのではなくて、そもそもその「glad」が起こらないのだ、これがこころの仕組みの上で男女を大きく隔てている。
女は、わけのわからない理由で花束をもらったとしても、とっさにそれが「うれしい[glad]」というキモチが起こる、男はわけのわからない理由で腕時計をもらうと、単純に「???」となる/男はそれをガマンしているのではなく、本当に「glad」が起こらないのだ。
男は、たとえば先輩が「おれも昔、先輩に、腕時計をもらって、そこから社会人を始めたから」と言ったとする、その上で改めていただいた腕時計を「なるほど」と感じ、粛然とその腕時計の重みを「偉大なことだ」と感じて胸を打たれる/女性においては、後天的に男気を獲得しない限り、ことの「偉大さ」ということがわからず、愛ややさしさのすべては真っ先に「glad」で上書きされて消し飛んでしまう、僕はすべての知識と体験を総動員し、最大の良心を傾けてこのことを報告しておきたい。

過去、無数の男たちの愛ややさしさが、「glad」の項目にすり替えられて、消費されていった。

そんなことはない、と、健全な女性は思われるかもしれない、だがそう思えるのは他人事においてだけだ、女性は自身がgladの媚薬に包まれたとき、すべての判断力を失う、だから他人事においてはその不徳がわかるが、自分のことにおいてはそれがわからなくなる/わからなくなるので、女はその道を無限に進んでしまう。
女は、どこかで男気のたぐいを学んでいないかぎりは、過去に「うれしかったこと」だけを覚えていて、「偉大だったこと」は覚えていないはずだ、そして冷静に顧みてみれば、「うれしかったこと」の蓄積が自分を幸福のコースに押し出してはいないということも見えてくるはずだ、その麻薬的なほどのはたらきに反して。

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