☆いい女☆で行こう!

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「女心」の究極解[異なるg]2
は、たとえば偉大な先生が何か偉大な活動をされていたとき、無償でそこに参加し、協力するということが能動的にできる。
そこでもし、先生に礼でも言われようものなら、「いやいやいやいや、そんなもん、わずかでもお役に立てたなら光栄ですわ」と、別に何の努力もなく下っ端なり下僕なりの役割を果たすことができる/ただしもちろん、極端に女々しくなってしまった男は別だ、女々しくなった男にはやはり「女心」が芽生えている。
女は、たとえ偉大な先生が偉大な活動をされていたとしても、そこに能動的に無償で参加する、ということができない、それは必ずしも有償でなくてはならないということではなく、「きみが参加してくれたら、一気に華やかになるね」というような、gladへの一言が要るということだ、女性はそれが「うれしく」ないと一切の活動をすることができない。
男と女のあいだには、この「glad」に関わる巨大な相違があるのだ、ここにおける「要る」「要らない」がとてつもなく違う、これは男女のあいだで確認し合えば、互いに「えええええ? そうなの!?」とびっくりするほどの違いがあるのだ。

たとえばグラビアアイドルが、冬の海辺で水着を着て、とびっきりの「スマイル」を見せている、あれは何の「スマイル」なのか。
あれは、特別な場所に来られて「うれしい」、特別な水着を着られて「うれしい」、撮影のヒロインになれて「うれしい」という、「glad」のスマイルなのだ、本当に女はただ「うれしいから笑っている」だけで、男にはけっきょくこのことがわかっていない、このgladはおおよそ男にないものなのでどうしても男にはわからない。
たとえば誰か亡くなられた老婆の葬儀があったとして、その遺品を形見分けするとき、一番大きくうつくしい宝石を、「これはあんたがもっていき」と十六歳の少女に授けたとする、するとそれは形見分けでも何でもなくなり、「宝石」=「うれしい」ということで消化される、このとき少女の瞳は驚き輝いてウルウルと震えているが、それは思いがけず急にデカい宝石をゲットしたから「うれしくて」潤んでいるだけだ、何かの偉大さに打たれて潤んでいるわけでは決してない/彼女は「うれしい」のでこの世界が「大好き」になる。
桑田佳祐の歌うところに、「おれよりもいい人がいるならそれでいいのさ、泣いたのは幸せなお前が見れたから」という歌詞があるが、これを女心が受け取ったとき、「何か知らないけど『お前』とか言われちゃった、うれしいエヘヘ」というgladにしか消費されていない、実際ここに「偉大な男気が……」と唱えても、「?」となるだけだろう。
「女心」とは何かという究極解は、「nothing great, only glad」という異なる二つの頭文字gに尽きていく、女心においては<<偉大なものは神殿ではなく、うれしいものが神殿>>であって、おしゃれとオゴりと褒め言葉、および特別感とプレゼントが神殿なのだ、そうして自分をうれしがらせないもののすべては女心において無意味であり、女心は次第に自分をうれしがらせないものを「破壊するべき」という衝動を覚えていく。

Please don't smile, 僕は女を愛しているので、あなたの女心を否定する。

これほど女ウケの悪い主張もないだろうが、まあ成り行き的にしゃーない、僕は女心が女を恒久的に幸せにしないことを知っているつもりだし、同時に、その女心がどれほど強烈な作用として女のこころを服従させているか、その脱け出しがたさも知っているつもりだ。
女は、「うれしさ」のすべてを絶たれたら、それこそ死んでしまうのじゃないかとさえ感じられるだろう、けれどもそれは、物事の「偉大さ」を知らないからにすぎない、偉大さを知ることがあればうれしさなんてささいなことだと努力しなくても落着してくる/やがて向き合わざるをえないこととして、「うれしかったんです」とウルウルしている女の瞳は、究極ただの「ものっそいアホ」でしかないということを先に申し上げておきたい。
 
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