☆いい女☆で行こう!

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女性の本質は猥褻物だ3
というのは元来、「春の力」に属するもので、己の「春の力」をよろこび、その力量を試したい、またその力量において活躍したい、と望む生きものだ。
しかしそこに女性が、社会的な力を借りて、男たちを教化したものだから、現代の男たちは猥褻力に属する者どもに転化してしまった、それでクラスメートとしても男女は打ち解けて仲良くできるようになってしまった。
まだ頼りない男子が、同級の女子生徒を見てムラムラしてしまうのは、男子の「春の力」が弱く女性の猥褻力に負けてしまうというだけで、その意味で男が女に「メロメロになる」というのは、女を賛美しているのでもなければ、尊重しているのでもない、ただの猥褻化した猥褻ボーイの鼻水だ/しかしこの猥褻ボーイが女性にとって増長気分を作り出すのにいい様子。
猥褻化した猥褻ボーイが、アイドルにハァハァ、グラビアにハァハァ、「始まりましたね」、そしてどことなく活性化した前立腺(いわゆるケツマンコ)の力でオバチャン化するかオカマ化して、そんな無様を見ていると女性としては自分の立場が比較的清潔に思えてハイになれるのかもしれないけれど、そんなものを土台に「女の自己肯定感」なんか稼いでいたら、裏帳簿は真っ赤っかの大破綻になっているに決まっている、女性が猥褻物から春の物に転化できる唯一の手がかりを自分たちでぶっ潰して、この先いったいどうするつもりなのだ(と今さら言ってもしゃあないのではある)。

現代の男性は、男性改め猥褻ボーイ、しかもケツマンコ(前立腺)由来のオカマ化した猥褻ボーイなのだが、この猥褻ボーイがアイドルやグラビアを見て「ハァハァ」となっているところ、それを見て「女の勝ち」を確かめるというイカレポンチな風習を、いいかげんやめないといけない(アテはない)。
「猥褻ボーイ」は、「男」じゃないので……しかしこの猥褻化した猥褻ボーイが、あなたの猥褻力を賛美し、寄ってきて、あなたをいい気分にさせるものだから、あなたはこの好都合をやめにくいわけだが、そんなところにいつまでも満足していても「春」はやってこない/「春の力」は荘厳でかつすさまじいものなのだが、これを一度も体験せずに死んでいくというのはあまりに酷だ、僕はどうしてもそのことだけは嘆かずにいられない。
男でなくなった猥褻ボーイを、自分に懐いてくるペットとして飼っておきたいということ、「それによって精神安定を得ているんですよ〜」ということは、言われなくてもよくわかる、しかしやがてあなたはそのペットを「保健所に送って殺処分してくれ〜」と言い出しかねないのだから、この風習はいいかげんどこかで撤廃されなくてはならない。
僕は過去に、何度も見たのだ、女性は感じたくてオマンコで感じるのじゃない、僕は何度も見た、自分自身がオマンコに食われていくのを止めたくて、思わず通りすがりのような僕ごときにさえ頼らざるをえなかった、その女が「殺してほしい」と必死に僕を見つめるのを、僕は何度も見た。

「春の力」がめくるめくとき、オマンコをシバかれるチャンスだ。

「春の力」は春夏秋冬いつでもあるのだが(やはり特に春が強いが)、この「春の力」と「猥褻力」は常に拮抗している、そこで猥褻力が勝利するということは、男がオマンコに屈服するということだが、それは女性そのものの勝利を意味してはいない、オマンコの猥褻力が勝利したとき、単に男も女も「負けた」のだ、二人とも春の力に接続することはできなかった。
「春の力」の中で、オマンコがその誇る猥褻力を無視してシバかれたとき、他でもない女性当人が鮮やかな心地を覚えて、「この先をやっていける」「生きていける」と感じるものだ、そういうセックスを経たことがあるだろうか、ガタガタになってしかし冷静に、「これでわたしはやっていける」と春の風が吹き抜けてくれるかけがえのない日/女性は漠然と、深い罪、つまりオマンコを具有することによる猥褻力の罪の中を生きている、それが「春の力」にシバかれたとき、自分を重く苦しめていた深い罪から離れ、ようやくその本来だった春の花のうつくしさを得られるのだ、「これまで浮かれたふりを装ってきたのは、ただ重い罪から目を背けていたかっただけだなんだ」と。
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