☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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女性の本質は猥褻物だ5
「春の力」はどれほどのものか/本当に「春の力」に包まれたとき、その切ない美と歓喜の広がりは、歓喜がゆえにあなたの心臓を引き裂きそうに苦しめるだろう。
それに比べたら、今のように、適度に汚れて「ぶっちゃけさあw」とやっているほうが気楽だ、それはよくわかる、その崩れ方も悪趣味からの「侮辱」にまで至らなければ問題ないし、そういった緩衝がないと実際に心臓がもたないだろう/もし本当に「春の力」に包まれたら、たぶん歓喜が強すぎて立っていられないというか、胸を抱えて崩れ落ちて、呼吸ができなくなってしまうかもしれない。
もし正しい男の「春の力」に呑み込まれて、そこまでの歓喜を得てしまい、もしそれを認めてしまったら、もう「引き返せなくなってしまう」と女性は感じるだろう/もうその人を愛し続けて死んでいくしかなくなり、人生はメチャクチャになってしまう、ある意味その時点で女性の人生はひとつの「完成」を得てしまって、その後のことはもう全部どうでもいい付録でしかなくなってしまう。
だからその意味では、「春の力」も考えものだ、何にせよ「いきなり」はインパクトがデカすぎて、心身や環境にトラブルを起こすに決まっている/かといってたぶん猥褻ボーイと遊ぶのもすでに多くの女性が絶望的に飽きたのだが、とにかく焦って進めるのはよくない、僕はこういうときによく、よく知られた「星の如く急がず、しかし休まず」という言い方を借りる、「春の力」を突発でなく自分のものにしていくには気長でシブい努力と研究が必要なものだ。

女性が「春の力」を帯びたとき、女がどれほどうつくしくなるものか、また、そこにどれほどの価値があるかということを、僕はよく知っている/僕は現代のように女性が猥褻力に安住してその有利さの中で疲弊していくのを、よしとはできない、僕は現実的な手続きを経て、女性は元来の本分である「春の花」たる自己に――せめて一度だけでも――到達するべきだと思う、それが今や容易でないことは重々承知しているけれども。
本質的に放置していれば猥褻物でしかない女性が、「春の花」に転じようとするとき、そこには常に「死」というか、「生の終わり」の感触がつきまとっている/むろん本当に死ぬわけではないが、そのときは常に目の前の男に向けて、冗談でなさが51%以上含まれる、「わたしを殺して」という眼差しと声が放たれている、あるいはもっとカジュアルに「あなたになら殺されていいよ」とも言うが、それがカジュアルな言い方だからといってウソで言っているというわけではない(51%)、女性は本当に、あるとき男の前で自分が殺される「準備」をする。
「春の力」が二人を包み込むためには、女性の放つ「わたしを殺して」の冗談でなさが51%以上、男の放つ「そのときには殺そう」の冗談でなさが49%以下でなくてはならないが、このことは丁寧にやらないと危険なのだ、なぜなら女性の冗談でなさが50%を割ってしまうと、男の「殺そう」が50%を超えてしまい、そこには本当に殺人行為が起こってしまう、このときの殺人は両者とも不本意の極みなのでまったくヒサンなことになる(このことはあるていど、死とコミュニケートとセックスについての訓練を積んでいないと危険だ)。
男が冗談の側に振り切れたら、女性は100%になってしまって自殺せねばならなくなるし、女性が冗談に振り切れたら、男は自殺も含めた無作為の殺人者にならねばならなくなる、「春の力」はそれぐらい荘厳で、彼岸に片足を突っ込んでいる類いだ、だからこそ見える世界がある、心臓の引き裂かれそうな美と歓喜、その世界はたしかに桜の散りゆく瞬間に似ている。

あなたは、もし殺されるとしたら、誰に殺されたいか/そのとき浮かぶ人にあなたの春のヒントがある。

「この人なら、疑いなく、最後のそのときまで、わたしを愛したまま殺してくれるから」「この人はそういう人だから」、あなたはどこかでそういう男――と、その信頼――に出会っているかもしれない、それはあなたがいつのまにか、この世界には自分の「永遠の人」がいるということを認めているということなのだが(この「永遠の人」は複数いてもまったくかまわない、ニセモノでない限りは)/あなたがこの「永遠の人」に出会えなかったり、あるいは「永遠の人」を認めず侮辱したりすると、そのときあなたのオマンコは一気にその猥褻力をもってあなたを食い尽くしてしまう。
猥褻力でブタになったわれわれの現代においては、「誰に殺されたいか」という問いかけにさえ、マンガの登場人物が出てきておかしくなく、しかもなおそのことまで猥褻な自慰のネタとして空想されるということがあっておかしくない/もちろん「春の力」は尋常の生身には引き受けがたいほど巨大だから、そうして悪ふざけをして息抜きをすることも必要だが、本当のところまでふざけきって侮辱していると、本人はゴキゲンなままとんでもないところへ進んでいってしまう、「春の力」が永遠に閉ざされたちょうど反対側のどん底へ行き着いてしまう。
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