☆いい女☆で行こう!

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見た目にも楽しい奴になるということ
い鍋に素手で触れると、「アッチャッチャッチャ」となる。
「アッチャッチャッチャ」「ははは」となるのだが、実はこれ、ホントに「ははは」となるかというと……そうでもない、実はこれ、とてもむつかしいことが含まれている。
「アッチャッチャッチャ」「ははは」となるのは、ユーモラスだから「ははは」となるわけだけれど、その「ユーモラス」ということが本当に成り立つかというと、実はそうカンタンにはいかない。
芝居がかって「アッチャッチャッチャ」なんてすると、お寒い感じになるし、「アッチャッチャッチャ」と感情的になっても、ユーモラスということにはならない、この「ユーモラス」ひとつにしたって、実はありふれているようで、ありふれてはいないのだ、もしこんなものがありふれていたら誰だってチャップリンになれる。

自分が楽しい奴になるということは、見た目にも楽しい奴になるということ。
これ、実はむつかしいのだ、楽しい奴の「ふり」してもいかがわしいだけだし、感情的になることや、大げさにすることは何も楽しくない、演出的にすることは実は何も楽しくないのだ。
「楽しい奴」といって、自分だけそのつもりになり、「自分だけ楽しい奴」になりきるのは意外にカンタンだ、しかしそういう人はごく当たり前に敬遠されてしまう、そりゃ誰だってそんな自己中な人とは付き合いたくない。
想像してみるとわかると思うが、「アッチャッチャッチャ」がユーモラスな人は、メシを食う時点で「うまい、超ウマイぜ」と、すでに「楽しい奴」のはずだ、その楽しい奴が素手で鍋に触ると「アッチャッチャッチャ」「ははは」となる、それが表現力があるということで、それはつまり、こころが開けているということだ、それは案外ごまかしの利かないことだ。

「ユーモラス」は、学ぶもの。

自分だけ楽しい気分になってみたつもりでも、それでは「ユーモラス」にはならないので、自分は楽しくても周りは楽しくない、むしろ周りは空気を読んであなたに合わせないといけなくなるので、疲れてしまう、「ユーモラス」というのはそうして、自分のキモチ限りで実現可能なことじゃない/自分のこころがどれだけ開いていないか、学習に学習を重ねる先にしか実現してこないものだ。
だからあなたは、もし「この人は真にユーモラスだ」と見える人がいたら、ぼんやり眺めて「ははは」と消費していてはいけない、あなたを楽しくさせてくれているその人は、実はあなたよりはるか先にいて、ずっと高みにいるんだ、あなたがそのとき「ユーモラス」の荘厳を学ぶかどうかで、あなたの未来は大きく変わっていってしまう/生まれつき「見た目にも楽しい奴」なんて本当はいない、誰だって見えないところで努力して覚悟をもってそうして遊んでくれているんだ。
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