☆いい女☆で行こう!

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つらさを肯定する派
ル中はどうやって発生するか。
お酒を飲むと誰だって楽しいのだが、本来は、「楽しい人がお酒を飲んで楽しくなる」というのが正しい。
お酒というのは、つらい人が飲んでも楽しくなるのだ、つらい人が楽しくなってしまう酒を飲んでしまう場合、これは麻薬と同じで、ただつらさを忘れるために飲まずにはいられなくなるという、依存症になってしまう。
お酒は、楽しい人が飲んでも楽しいし、つらい人が飲んでも楽しい、けれど後者は度が過ぎるとアル中になってしまう、アル中というのはまったくシャレにならない破滅的な病気なので、「つらいときは飲み過ぎないほうがいい」と常識的に思っておこう、また万が一のときには友人もたしなめよう。

居酒屋に行くと、よくとんでもない大声で、怒鳴りながらワイワイやっている人たちがいる。
彼らも「楽しそう」に見えるし、実際楽しいのだろうけれど、あまりよくない状態だ、お察しのとおり「つらい人がお酒を飲んで楽しくなった」という状態だ、だからタガが外れたように怒鳴り始める。
「つらい人が楽しくなる」というのは、何であっても同じ、たとえばアニメとかアイドルとか、マンガとかSNSとか、あるいはセックスや、度を超した「運動」などもそうなのだ、「これをするとつらさが消える」ということでやっているので、やめられなくなり依存症になる。
人間はつらさに耐えられるほど頑丈ではないので、やむをえないが、どこかで冷静でいることだ、つらさをほどほどにごまかしながら、「生きていてつらいというのは何も間違ったことじゃない」と知っておくことだ、つらさを否定すると自己否定になり、また世界を否定することにもなって、何重にもつらくなってしまう。

つらさを肯定できたら、つらさは変わらないが、少なくとも友人ができる可能性がある。

新入社員がいて上司がいて、上司が新入社員をいびっていると、「つらそう」と見えるのだが、実は上司も生きることがすでに長年つらかったりする、お互いにつらいことを否定にかかるので、二人は協力もできないし和合もできない、あるいは学生のオタクやリア充もそう、双方ともつらかったりするのだが、互いにつらさを否定しているので友人になれない。
全員が友人であれて、全員が「つらいね」と笑っていられたら、つらさというのもさして脅威ではないのだが、孤立無援で自分だけつらいと思わされ、しかもそのつらさを否定してかからねばならないというのは大変だ/単なる「つらさ」を自分たちで「地獄」にまで拡大する必要はない、「わたしはつらさを肯定する派です」と唱えるやりかたがあるのを忘れないでいよう。
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