☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< つらさを肯定する派 | TOP | あなたが能力の98%を失った理由 >>
「つらさ」という不思議なもの

きるのがつらいようでは恋あいどころじゃない。
生きるのがつらく、そのつらさを肯定できないでいると、人は恋あいのふりをして、本当は自分がつらさから逃れるためにそれを「利用」するものだ、婚活中の人たちにはそういう人も含まれていると思う。
われわれは浅はかだから、「この△が□になればつらくなくなるのに」と短絡的に考えてしまう、つまりホワイト企業に就職して寿退社すれば人生はつらさゼロだと考えてしまうのだ、しかもそういうふうに「ダマしてくる」という勢力もある。
けれども、あなたは知っておかねばならない、<<「つらさ」というのは不思議なもの>>だ、人は「何もないのに、なぜか猛烈につらい」ということにだってなりえるもので、けっきょく「つらさ」というのがどこから来ているのか、われわれ凡人にはわからないのだ。

順風満帆で、余裕もある、人間関係も良好、家族も円満、健康だし自信もあるし色気もあるし遊びも知っている、尊敬もされている、それでも「つらい」ということはある、この場合、もはや原因がわからないので、ただただ「つらい」というだけで、これから逃れる方法は存在しない。
あなたはよくよく知っておくことだ、「つらさって、わけがわかんないものだよ」ということ、この「つらさ」というナゾの現象を、人間が浅はかに捉えるとき、たいてい災厄がデカくなってしまう。
人はどれだけ順風満帆に見えたとしても、知っているのだ、やがて自分は老いて死ぬこと、死ぬ前には肉体が朽ちていくこと、また十代や二十代の時間は帰ってこないこと、そして本当の時間や本当の愛を過ごしたかどうかなんて……実はとてもあやしいということ、だから「つらさ」なんてどの穴からでも湧いてくる。
もしつらさと恋あいが正作用に関係する場合があるなら、そのとき恋あいというのは、「この偉大なことに比べたら自分のことはまあいいや」という感触で得られる/人は偉大なことに出会えたときはじめて、自己の不十分が「それでかまわない」と感じられ、つらさを離れることができる、自分にプラスになるとかマイナスになるとか、それはどちらであっても「偉大じゃないからどうでもいい」と感じられ、「どうでもいい」と感じられるならもうつらさはつらさではないのだ。

仮にあなたが超美人の超セレブになっても、次は不老不死を求めて苦しむだけだ。

「まさか、人間なんだから、不老不死までは求めないですよ」と誰でも思う、でもそれは今だけだ、超美人の超セレブになって、二十五歳を超えてふと老いが一ミリ出現したときに、そのつらさはドカンとやってくる/それは超美人の超セレブは、超あこがれだが、実は「偉大」ではないと知っているからだ、実は無駄な時間なのだと。
つらさというのは不思議なものだ、仮に理想的な順風満帆があったとしても、実は「この航海が何のためにあるのかわからない」「この航路が偉大だという気はまったくしていない」と、有能なだけの船長は表情は笑顔のまま、背筋を凍りつかせているのだ。

正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |