☆いい女☆で行こう!

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「当店の靴には右も左もございませんが?」
は男らしく、女は女らしくというのは、元来、「右足には右の靴、左足には左の靴」というようなことだった。
現代においては、男らしさや女らしさは否定され、あるいは冗談化され、つまり「当店の靴には右も左もございませんが?」という状態になった。
この、左右のない靴を両足に履かされているものだから、少しでも動けば足はどうなるかというと、靴擦れになり痛む、歩いても気分はよくならない、走っても躍動感はない、何をさせられてもギクシャクで「つらい」、すぐにつまづいて「無能」「根性なし」ということになる、これはたとえ男女のアパルトヘイト政策を施行しても続くだろう。
ノッペラボーの靴、右も左もない靴、それは一見合理的な靴に見えるのだが、足にはどうしても生まれつき右と左があるのだ、これでは本来の能力は発揮されようがない。

もう十数年、「男に女が寄り添う」なんてドラマやアニメは作られていない、そんなものを作ればただちに「炎上」を起こすだろう。
現代の女性の多くは、「セーラームーン」や「プリキュア」あたりで、「女の子とはこういうもの」という元型を獲得している、これらの女の子元型は男との相補性を為してはおらず、つまり右靴でもなければ左靴でもない、独立した「女の子」だ。
これにより、女性は単純に、男性との付き合い方がわからなくなったし、僕も男として、女性に何を話せばいいのかわからなくなった/じゃあ女性は男性と付き合わなければいいし、僕も女性に何も話さなければいいということで、本当にそうなってしまった。
今、男女どちらであれ、何か朝起きたときからイライラするとか、ブルーだとか、やたらムシャクシャするとか、ぜんぜんやる気もしないし自分が成長しなくて吐きそう、「なぜか内心ずっとブチギレなんですよ、理由は特にないんです」ということがあったりすると思うが、それは構造上しょうがないことなのだ、左右のない靴を履き続ければわれわれの足が靴擦れで血まみれになるように、われわれは男女とも血まみれになっている(せめてお互いに怨み合うものじゃない)。

靴に左右がなくなったということは、文化性が下がったということだ。

原始時代なら、動物の皮で作った履き物に左右なんてなかったのかもしれない、それと同じように現代のわれわれは、「男がとか女がとかどうでもよくね?」と思っている/正直、現代においては、男も女もそのときの「気分」になれればいいだけで、よもや男女というところに「文化性」など誰も見ていないだろう。
ヒントになるかどうかわからないが、僕は男なので、男らしくいることに決めている、ただし女性といるときは男らしくしない、かといって男といるときも男らしくはしないが/だから誰にとっても、僕の快適さと能力の出方はナゾのはずだ、僕は何も特別に優れているのではなく、単に男が男のままというだけだ、今さら女性の前で男らしさを誇ろうとするなんて、いかに男らしくないことかさすがに僕もわかっている。
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