☆いい女☆で行こう!

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旧「男尊女卑」のナゾ、解明さる2

のため、僕は男尊女卑なる思想を、すでに廃棄された過去のものと捉えているので、男女平等主義者の方は僕を非難するに当たらない/僕は男女平等主義者の方がそうであるように、今さらの女性の「引っ込み思案」を認めるつもりは男女両サイドにおいて一ミリもない。
僕はこれまで男女のあいだに一切の格差を認めない立場でやってきたが、しかし振り返ってみると事実上、「崇高なもの」に触れたときに生じてくる態度は、男と女で違っていた、少なくとも女性が僕と同一の態度を見せたことはこれまでに一度もない。
たとえば、偉大な歌声を聴くとしよう、ルイ・アームストロングの「What a wonderful world」などがそれだ、ああいう強烈な男の、偉大で痛快な声を聴くと、そのたびに「うはは! こういうのに比べると、おれみたいなものはカスみたいなもんだぜ」と僕はたまらなく気分がよくなる、そうして偉大で崇高なものに触れると我が身のしょーもなさが「本懐だ」と引き受けられて勇気が湧いてくる。
だがこれまでに女性が同じ反応や態度を示したことはない、女性はなぜか「そうか、わたしは偉大で崇高なものだったのだ」と逆を悟るようで、目をウルウルさせている、女性にとってはそれが「希望」のようなのだ、それは僕の覚える「希望」とは逆になるが、あくまで男女平等の精神においてはその逆行ぶりは「お前は救いのないアホか」と言われるべきだろう。

経験的に、なぜか女性は、自分が崇高化することには異様に貪欲で、自分がカス化することには同様にすさまじい抵抗を見せる、女性は自分がカス化するぐらいなら、いかなる崇高なものも我が手で殺害してやる、というぐらいの気迫を持っている、この点はどうしてもまともな男とは(経験上)逆だ。
まともな男というのは、自分では及びもつかない偉大で崇高な何かに出会ったとき、自分のカスぶりをはっきりと悟ることに、「うはは、これですよ、これが正しいんですよ!!」と痛快な本懐とよろこびを覚えるものなのだが、女性および女性化した男にはこれがない気がする、どうも女性には「偉大で崇高なものに<<打ちのめされる>>快感」がないのではなかろうか。
しかしすでに男女平等を鉄則とするこの世の中で、そんな救いのないアホ状態を横行させているわけにはいかないのだ、ただちに改めるしかない、「ルイ・アームストロングの笑顔と声が偉大で崇高なのであって、お前の笑顔や声はカスだ」という、当たり前のことに対する抵抗や曲解をやめるのだ、体内のヘビとかいうやつはタレに漬けてコンガリ炭火焼きにしてしまえばいい。
なぜ崇高な歌声を聴いて、オマエが崇高になるんだよ、そんなのわけがわからないじゃないか/経験上、なぜか女性は自分が崇高に感じられる機会に異様に貪欲で、かつ「目の前の誰かが崇高で、自分が崇高じゃないというのは、どうしても傷つく!」というわけのわからん心境を持っているようだが、目を覚ませ、オマエが感動することは多々あってもオマエに感動する人なんか誰もいないよ、そりゃ当たり前だろって中を僕はよろこんで生きているのだから、今さら男も女もない、この中を堂々とよろこんで生きていこうじゃないか。

男尊の世界へようこそ、ここはあべこべが許されない世界だ。

「男尊女卑」といって、それは男が尊いという意味ではなくて、「男が尊いものを担う」という意味だった(執政、学門、神事)、尊いものを担うということは……我が身のカスぶりを引き受けて身を粉にするを「本懐」とするということだ、まともな男で自分を偉大とか崇高とか思っているバカは一人もいない、そりゃ女性にとっても当たり前でなきゃこの時代においておかしい。
ルイ・アームストロングが偉大かつ崇高なのであって、それを聴いてテンションが上がると「自分が偉大で崇高」になるというのはさすがにアホだろ、なぜ自分のテンションが上がるとすぐ自分が偉大で崇高というまったくあべこべの妄想に飛びつくんだ/<<崇高なものに出会うということは同時にカスの自分に出会うということ>>だろ、崇高な自分に出会うなんてどんなあべこべだ、そんな女々しいことは本日このときから完全否定されてかまわない、その先に決して未来は暗くないだろう。

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