☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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居酒屋と喫茶店の怒号
酒屋にいくと、すさまじくうるさい集団がいる場合がある、それも酔っ払いの話し声がうるさいというよりは、もはや「怒号」の応酬なのだ、なぜ怒号をやりあっている当人らは平気なのか見ていて不思議とさえ感じられる。
「なんであんなに怒鳴っているんだろう」と僕が首をかしげていると、ある女性は「あれって欲求不満なんですよ、欲求不満が彼らを叫ばせているんです、スポーツと同じですね」と断じ、僕はそれを聞いて「えええ〜」と驚いたのだが、なるほど言われてみたらそうかもしれないという気がしてきた。
一方、酒を飲まない連中はというと、たとえば近所の公園で子供たちが遊んでいるとき、鬼ごっこ、かくれんぼ……をしている様子はないのだが、とにかく子供らは叫んでいる、口々に叫んで、それはどうも「奇声を発している」というように聞こえてならない、昼間のファミレスになど行くとその奇声が大合唱しているときさえある。
いつぞやは、「まあストレスの高い東京の街だから」と言っていたのだが、このごろはおしゃれなカフェや、ド辺鄙な田舎の温泉に行ってさえ、怒号や奇声の応酬が「当たり前にある」と覚悟せねばならない状況になった、たぶん三十年前の記録にはこれらの怒号や奇声は残っていないだろうから最近のことなのだろう/「外国ではどうなのかな?」といつも気になっている、街中では碧眼の外国人を見かけるのに居酒屋では一切見かけないのだが、やはりドイツのビール酒場もあのようにすさまじい怒号の世界なのだろうか。

僕はあるときふと、勝手に確信したのだが、あの肺腑や耳に痛い怒号、あるいは子供の奇声は、「カルマ」の叫喚なのだと思う、単に声がうるさいのではなく、声にカルマの重みが乗っかっている、だから聞かされている周囲もたいへんな負担を覚えるし、本人らもやめるにやめられないのだ。
現代人の振る舞いと暮らしが、老若男女、カルマを増大させるほうへはたらいているのだろう、それで人々は怒号や奇声を上げるようになり、とても疲れやすい体質になり、老人はいつでもキレそうな顔で歩いており、実際ふとしたことでキレるようになったわけだ。
酒を飲んで大騒ぎするのは、僕だってやるわけだし、ストレス解消といえばその通りだろうが、実際に響いてきているものは違う、あれは「カルマ増大のレポート」だ、人はカルマが増大すると身体が痛んで動かなくなる、動かないので力尽くで動かそうという発想になり、筋トレをするようになる、そして力尽くで声を出すから「怒鳴る」「叫ぶ」ということになるのだ、もちろん機能は低下しているので会話の体裁は成り立っていない。
人にはカルマ的と言わざるをえないナゾの現象があり、カルマが増大すると、機能の一切が低下してしまうのだ、集中力や言語力、把握力、発想の豊かさ、柔軟性、身体や内蔵や粘膜の円滑挙動、味覚、愛、こころ、尊厳、そういったものが致命的に低下する、その代わりカルマ方面だけ欲求がズンズンパワーアップするので、おっかないのだった、近頃の少年少女や青年や女性が、やたらにドエロいマンガやグロテスクで残虐なマンガを読みたがるようになっているのはそれが原因だ、つまり居酒屋で怒鳴っているのはあれは「カルマ増大屋さん」なのだ……とひどいことを考えざるをえないのだった。

「うるさいなあ」と嘆くより、「カルマいなあ」と判断するほうがまだ健全な上にきっと正しい。

嘆いていてもしょうがないというか、明日から急に酔客の怒号と子供らの奇声がピタッと収まって芳しい歓交が始まるなんてことありえないので、まあ感情的に捉えてもしょうがない、おそらく人はカルマが増大すると怒鳴ったり叫んだりするのだと思う、僕だってそうなればそうなるのだろう、僕はそこに人間の性質を見ているのであって批判や非難を向ける意図はすでに取り下げている。
老若男女、みな声の大きさは「イケイケ」に感じられるが、一方で、すでに多くの企業が歓送迎会を含めた「飲み会」を撤廃している、忘年会や新年会もやらないそうだ、そして若い男女は恋あい離れを起こしているようだし、中高生がすでにまともな国語能力を持っていないことは正式にレポートされてもいる、じゃあ何が「イケイケ」なのかよくわからないが、とにかく「カルマが増大すると、そういうふうになるものらしい」と捉えておくことは、すっきりしているしだいたい当たっていそうなのだった/僕は怒鳴ったり奇声を発したりするのは単純にイヤだ、他人はどうあれ自分がやらされるのはしんどい。
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