☆いい女☆で行こう!

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「感動」と「涙腺オーガズム」の違い

に、ものすごくかわいい(とされる)Hちゃんがいたとする、このHちゃんはまさにアイドルという感じだ。
しかし僕は、このHちゃんに、「生きていて『感動』したことがない」という気配を受ける、すると「感動したことがない人間って何なんだよ……」と恐くなってくる。
いくら表面上「かわいい」と見えても、「感動したことがない」なんて、もう恐怖でしかない/人は自分を「かわいい」とごまかすことはできても、自分が「感動した」とごまかすことはできない、自分か感動したかしなかったかは、どうしても自分自身がよく知っている。
何かをバカにして生きてきた人、見下して生きてきた人は、どれだけ精力的に生きても、「感動する」ということは得られなくなる、興奮することや躍起になることはありえても、「感動する」ということはない、それは生きる意味そのものが剥奪されるという恐ろしいことだ。

いわゆる「涙腺崩壊」、「涙もろく」「ウルウルっときた」「オヨヨヨ」「鳥肌注意」みたいなものは、「感動」ではない、単に神経を過剰になぐさめて、涙腺が射精しただけだ、涙腺崩壊というのは単に涙腺の自慰オーガズムに過ぎずそれは「感動」ということではない。
<<ウソだと思うなら試してみろ>>、顔をくしゃっと泣き顔にして、泣きそうな気分に浸る――のみならず――、そのまま両手で自分の性感帯を強く刺激してみろ、そうしたら自慰的に落涙を起こすなんて簡単だということがわかるはずだ。
あなたは他人の「涙腺崩壊」の話なんか聴きたいと思うだろうか? そうは思わないはずだ、なぜならそれは感動の話ではなくて、自室で必死に耽って大量に射精してガクガクになった、という話と同質だからだ(「涙腺崩壊」というのはたいてい深夜の自室で一人さびしいときに耽って起こっているはず)。
ものすごくかわいい(とされる)Hちゃんが、「実は涙もろいところがあるんです」「よく部屋で一人で泣いていたりします」というのは、言われなくてもわかる、というかむしろ聴きたくないな、感動したことがないHちゃんが自室で代替に何をしているかぐらい僕は年の功においてわかる。

「感動」は雄々しいもので、「涙腺崩壊」は女々しいものだ。

同じ一本の名作映画を観ても、そこに雄々しい感動を覚える人と、女々しい涙腺崩壊に耽る人とに分かれる、あるいは戦争のドキュメンタリーを観てさえ、そこに涙腺オーガズムの自慰に耽る人は少なからずいるのだ/雄々しい「感動」に至る人なんて実に稀だ。
僕は涙腺オーガズムを上等なものだとは思わないな、涙腺オーガズムに耽ったあとは、すべての自慰と同じで心身が虚脱と耽溺の状態になっているはずだ/僕はこの感動と自慰の混同を断じて認めない、たとえそのオーガズムがどれだけガックガクで強烈だったとしてもだ。

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