☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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たとえば、日常的にカルマが増産される具体例
こに、太郎と次郎、花子と幸子を用意したとして、太郎が花子と結ばれ、次郎が幸子と結ばれたとする。
すると、それは四人についての「認識」、およびそれぞれが愛し合って生きていくという「行為」の生成になるのだが、これは餓鬼道の者にとっては「つまらん」と感じられる、なぜなら名前も色も刺激も見当たらないからだ。
そこで、餓鬼道の者にとって「魅力的」にするためには、デカい英名と派手な彩色を施すのがいい、たとえば太郎と次郎というのを、太陽神ゲランと冥王ナザルとし、花子と幸子というのを、月の聖霊メフィーナと神韻の歪女ピエリタとする。
太陽神ゲランと月の聖霊ミフィーナが交合するとき、橙の尋なる光線と青白の零度滴が交わり、その空には昼でもなく夜でもない色光が六百日に亘って示される……! そして冥王ナザルと神韻の歪女ピエリタが交わるとき、白矮超物質の鍵盤に永遠の闇色をした「盲」の雷が落ち、二千日に亘ってその音響が人々の肺腑を締め上げ続ける……! とすると、単に名前や色がイカツイという理由で、餓鬼道の者たちには魅力的に感じられる。

これはしょうがないのだ、「原理」なので変更のしようがない/餓鬼道にいる人は本当に「名前、色、形」「刺激」しか摂取できないようになっているので、いくら教育で矯正しようとしても、治らない、治るとか治らないとかではなく、これは所属している「道」が違うのでどうしようもないのだ。
そりゃもちろん、その者を本来の「道」へ引き上げてやるという、その修行のありようを示し、かつ与えられる人があれば別だが、そんなご立派なものはまずわれわれの身の回りには存在しない、いくらタロットカードで占ったところで何の意味もないのだ。
そしてふと気づくと、やれ「太陽神」だの「冥王」だの、「聖霊」だの「神韻」だのといった、本来は尊ぶべき英名が、餓鬼道のおもちゃにされている、そしてこんなことがどうやらきっちりとカルマにカウントされるらしいのだ/しかしこんなものがマンガ本に載っていたら、餓鬼道の者は「うおお〜」と実に愉しんでむさぼってしまうだろう(特にそこに、セクシャルな刺激の表現もどうせてんこもりにされているのだから)。
別にそのことを引き留める意図は僕にはないし、引き留めようったって引き留められるわけがないのでしょうがないのだが、ただそういうことで日常的にカルマは増産されているということ、毎年といわず毎月というような勢いで、「なぜか、大切に感じていたものが大切でなくなっていく」という現象があるのだとしたら、背後にはこの原因がある、カルマ増大分だけ「大切なもの」は奪われていくのがルールなのだ。

カルマ的に、「稲中卓球部」はいいが、「セーラームーン」はよくない。

「稲中卓球部の前野」は何もビッグネームではないのでかまわないが、「セーラームーンの月野うさぎ」は、「お月様の使者」みたいになっているので危険だ、いわば「かぐや姫」にセーラー服のコスプレを着せているような遊びなので、ガキはよろこぶが、性質的に危険だ(サンプルが古くてごめんなさい、こちとらジジイなのでな)。
マンガといって、「コボちゃん」とか「ドラえもん」とかではダメなのかね……とまさにジジイの発想だが、さすがにコボちゃんやドラえもんを読んでいてカルマが増大するということはない、カルマが増大すると報いがある上に学門をますます奪われるので(学門が自分に入らなくなるという罰を受ける)、何もそこまでしてマンガをむさぼることもないだろう(というのもジジイの発想なのだろうか)。
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