☆いい女☆で行こう!

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「カッコいい」とは「特権」のこと
「カッコいい」とは、つまり特権のことだ。
「ダサい」とは、つまり平等のことだ。
この特権には義務もついてまわるので、つまり「カッコいい」とは「特権&特別な義務」だ、ということになる。
イケメンは常にイケメンである義務を負うし、僕のような天才は常に天才である義務を負うのだ、いかなるときも天才的なものを供給する義務を負っており、この義務が履行できないとただちに「死ぬほどダサい」に転落する(だから集中力が要るわけだ)。

「カッコいい」とは、つまり特権であり「差別」なので、実は低級者の側も、「カッコいい」に到達することはできる。
「カッコいい」とは差別のことなのだから、「ああいうのはあの人の特権だな」と称賛して認める場合には、自分もその「カッコいい」側に属することができる、ただし一ミリたりともネタミソネミが混じっていてはならない(ネタミソネミが入っている場合は猛烈にダサい)。
差別の中においては、特権と特別な義務があるのだが、低級者が低級を引き受け「ああいうのはあの人の特権だな」と称賛するということも、実は「カッコいい」側の特別義務に入っているのだ、このことが履行できれば人は致命的なダサさをまぬがれることができる。
一方「平等」においては、ネタミソネミの感情が肯定されるので、何もかもがダサくなる、あらゆる文脈を通してけっきょく「キミもけっこう悪くないよ」という慰めが語られるわけだが、これはどう見てもダサい/ただしダサいからといってこれが間違っているというわけではないのだろう、ただ自分がどちらを選ぶかという選択があるのだと思う。

平等主義者は、自分が見下されるという恐怖を持っており、特権主義者は、誰かを見下すという機能を持っていない。

平等主義者は、もともとネタミソネミの出身だから、自分が人を見下してきた経験がある、それにより今度は自分が見下される場合について想像し、恐怖しているのだ、その恐怖を防御する正義として平等主義があるにすぎない/そのとき特権主義者は、そもそもネタミソネミの出身ではないので、平等主義者が何に縮こまりヒートアップしているのかが理解できない。
99%、誤った特権主義者は、自分が人をよく見下す性質を持っているからという理由で、自分には特権の性質があると誤解しているものだ、真の特権主義者はそもそも人を見下すという機能自体を持っていないのに/僕のような天才は常に天才の特権と義務に振り回されているが、凡人の支えがなかったら半月も生きていられないだろう、こんな世話になりっぱなしでどうやって「見下す」なんて発想が起こり得るのか。
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