☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告76(2)
大な話をすると、当パーティ(現体制、つまり第二十五回以降)は2013年の夏、僕が「現代と恋愛」(pdf)という話を書き上げた時期から始まっている。
「現代と恋愛」において、「意識と脳は違うんだ」、「脳バンザイ、意識はポンコツ」「脳と意識じゃ能力の次元が違うからな」ということが語られたことに、みんな希望と面白味を見出して、そのことへの追究が、パーティ企画の底を支えていたように思う/誰だってそりゃ、自分の未来をまともにしたいと願い求めるのはまっとうなことだから。
そうしていつのまにか、割とすぐにだったが、みんなでよく遊ぶようになったな、そしてよく遊べば遊ぶほど、「本当はどうなのか」ということが浮き彫りにならざるをえなかった/僕が「ふつう」と思っていたことの多くは、すでに世間から失われていた、結果的に僕は驚き、みんなはそろって「九折さんがフツーというのは無理がある」「うんうん」と合意するようになっていった。
それでついに、「どう教えても、こじれるばっかりだ、これは根本的に胴体が弱いに違いない」と思い、胴体を直接鍛える(流れ系において鍛え、脳の端末として開放する)というワークショップに展開した、「ちゃんとできるようになりましょーよー教室」/今ざっくりいうと、パーティに来てくれている人はその「現代と恋愛」から来た人とワークショップから来た人という二つのタイミングに分かれている。

僕は今、動画コンテンツの作成を考えているのだが、それは第三のタイミングになるだろうか/なるかもしれないし、ならないかもしれない、すでに五年前とは世の中のムードもまるで違うから。
まあそれはいいとして、ワークショップをしばらく(半年ぐらいか?)強行して、むしろそのワークショップによって、僕自身がまた「フツーというのは無理がある」という状態へ加速してしまった、「立っている姿がすでに何かおかしい」と言われ/また実際、このころから露骨に、すれ違いざまにポカーンと僕を見上げていくナゾの女性が多くなった、特にばったり出くわすとびっくりしてしまうらしい(と言われても、僕は僕のことを目撃できないので何のこっちゃわからない)。
そのうち、何かこう、能力を発揮するときに「身体の各処に点があるよな」と僕は言い出し、ウーンと思って調べてみると(調べてもらうと)、それはどーもいわゆるチャクラと呼ばれる、ヨガ的な何かの点のようなのだ、「フィクションの速さ」「速さに文句を言うヤツはいねえ」と追究していたものが、このヨガ的な何かに勝手に結実したと思われる。
このヨガ的な身体の各処の「点」というものに、一段落ついたというか、「ひととおり済んだと思う」という感覚のころから、なぜか僕がテキトーに歌を唄うと、女性が泣くようになった……というのが一連のストーリィだが、このわけのわからん話が、これでも控えめに言っているのだ、このほかにも「古代エジプト(オリジンの人々)から現代まで続く大会合」とか色々ある、僕はただ楽しく遊びたかっただけなのだが、なぜこんなことになってしまったのか、「憮然とする」とはまさにこのことなのだった。

「光」、「肉を洒脱」、「フィクションクライシス」、「喜怒哀楽」、これらのすべてをつなぐ、新しい方法はすでに見つかっており、ある女性はそれを「佳い報せ」と言った。

何か知らんが、強制的に進んでしまうのだ、特にパーティを経過するごとに進んでしまう、「体験はフィクションでありわれわれは実物(とそのイメージ)に縛られるほうが体験やこの世界の真実を見失う」「実物への思い込みから離れなさい」(あっこれはパーティのあとに見つかったことだったか、まあいいや)。
なお僕は文学者であり、オカルト風情の全般にはファックオフの態度を貫いているのでよろしく、パーティの三次会(翌日の昼だぜ)にて僕は文学者としてのパフォーマンスも披露したのだが、それについては「ひええええ」とウケたので満足している、そして僕は「僕が人よりちょっと優れているはずと自負しているのはこの文学の能力だけ」と自慢したのだった、いいだろちょっとは自慢させろよ。
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