☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告76(3)

ういえば今回のパーティでは、「愛」というベタなこともまじめに考えたのだった。
「愛」というと、それだけで何かヤバい人たちの集まりみたいで僕もノーサンキューだが、一方で、実は「愛」がなくて「愛」がわかっていないという人たちの集まりも、それはそれで、ヤバい人たちの集まりじゃなのじゃないかと僕は思う。
「愛」ってそんなにありふれているんですかね……もしそうだとしたら、大多数の人が、「わたしはえらく愛されているなあ」と感じて生きていなくてはおかしいということになるが、どうもツイッター等を見ている分には、愛はそうしてありふれているようには見えない。
ダサいことのすべては、愛がないから、という一言で決着する可能性があります、という類の発言というか指摘もあったが、それはまっとうな考え方だと思う、誰でも一番ゲンナリするのは、愛のない人が自分では愛があると思ってニッコリ近寄ってくるときだ、誰しもそんなうさんくさいことにはならないのが一番よいことだ。

今回のパーティは、僕が気まぐれに(しかしまぎれもない真実として)「カッコよくないと疲れるでありんす〜」と始まったわけだったが、そうして考えると、「愛が当然にある」ということが「カッコいい」の大前提と言えるかもしれない。
「当然にある」というのは、たとえば「冷蔵庫がある」というようなことだ、今どき「わたしの家には冷蔵庫があるんですの〜ウフフッ」なんて近寄ってくる人はいない/冷蔵庫を持っている人が「?」とまったくそのことに顔面の変化を起こさないように、本当に愛を持っている人は「?」と、まったくそのことに顔面の変化を起こさないと思う。
「ここにウマイシュークリームがあったとする、それが『うめえ!!』となるので、コイツのぶんもおれが食うわけだ、いいだろ食わせろよ、別に『お前が食ってもおれが食っても同じだろ』『お前はウマくないかもしれないが、そのぶんおれがウマいんだからいいだろ』」と、僕は愛を正しく説明した。
「おれが二個のウマイシュークリームを持っていたら、こいつに食わせるかもしれない、『食え、ほれ食え』『めっちゃウマいやろ!!』、おれがウマいのもこいつがウマいのも同じだ、愛というのは『なんでわたしがゲットせなあかんねん』と呆れて言うことに定義されるわけだ」と、やはり僕は正しく説明した。

これまで説明せずに来たが、パーティのメンバーはそれぞれ冷蔵庫を持っている。

愛は知らん、いちいちそんなもの訊いて回るものでもないだろう、しかしもし持っていないとすれば/「ええええ〜冷蔵庫持っていないの?」とおどろくだろう、そして「実は冷蔵庫というものがよくわからないんです」ということになれば、「こりゃ相当アホな暮らしをしてきたんやで」と相応の程度にはバカにするしかないだろう。
ここでもし、「わたしは冷蔵庫を持っていないし、どうせわたしには冷蔵庫が何なのかさえわからないんですよ」と、メソメソ、メランコリックなりセンチメンタルになりすることがあったとすれば、それは一番「カッコ悪い」と思うのだ、そして人はカッコ悪いものには不可避的に疲れてしまう、愛がわからんのは単に学門が足りないからだ/「二十年前、おれは愛のあるヤツになろうと決意したよ、決意なしには成り立たんよ、そりゃ当たり前でしょ。ちなみにエーリッヒフロムを読んだときからだよ」と僕は話した。

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