☆いい女☆で行こう!

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考え方の、基本中の基本2
車の車内に一人、酔っ払いのおっさんがクダを巻いていたとする、すると僕は、その車両には乗らない、当然避けて別の車両に乗る。
しかし電車の車内に、その酔っ払いのおっさんと、若い女性が一人、乗っていたなら、僕はその車両に乗る/当然ながら、同じ車両内に身体のデカい僕がいれば、そのおっさんが若い女性へオイタをすることへの抑止力になるからだ、余計な悪さをすると僕が「おいおっさん」と制止に入るに決まっているので、おっさんは悪さができなくなる。
そうすれば女性は不安におびえずに済むし、おっさんだってたぶん悪人ではないので、そんな悪さはしたくないというこころはあるのだ(でも酔っ払っているからな)/ということで、そこでは僕がその車両に乗っているのがベストになる、こんなとき僕が「自分だけ」の快適さを求めることなど世界のルールとして許されるわけがない。
考え方の、基本中の基本だ、将棋の駒と同じように、「四方八方に一番よく効く」ところにそれぞれの駒が進まないと、盤面が不利になるばかりだろう、この基本的な考え方ができない者は、単純に「低級」とみなされて抗弁の余地はない。

腰の曲がった近所のババアが、なんだかんだ、近隣の道路を清掃したり、ゴミを拾ったりしてくれている。
僕はそういうことをまったくしないのだ、何しろ面倒くさがりだから/ただし近隣のガキが「ん? イジメかな」というような光景を見せているときには、僕がしゃしゃり出て「何しとん、楽しそうなことしとるやん」と割り込み、ガキどもをたいへん憂鬱な気分にさせてやることにしている。
このそれぞれのはたらきを、入れ替えるとたいへん不利益なのだ、ババアがガキどもに凄んでもいまいち迫力がないし、僕が近隣の清掃なんかしていたらいかにも「あわれな人」みたいに見えて街の景色が悪くなる/だからババアがゴミを拾っているのが一番いいし、僕は「常識がなさそうでヤバい人」でいるのが一番いいのだ。
将棋でいうと、金の上に銀があるのが良形で、銀の上に金があるのは悪形なのだ、個人では動かしようのない、考え方の基本中の基本だ/「自分がどう進めば四方八方によく効くか」という視点で考えるべきであって、「自分だけ」で善人になろうとするのは「発想が低級」であり抗弁はできない。

僕がガキどものイジメに割り込んでゆけるのは、ババアが近隣の道路を清掃してくれているからだ。

何を言っているかわかるか、このことは顔面を冷水で洗滌してでも理解しろ、人間は万能ではないので剣と箒(ほうき)を同時に装備はできないのだ、僕が箒を装備するならクラスチェンジをせねばならず、箒を装備していたらいざというとき剣を持って割り込むことがタイミング的に間に合わなくなる、「何しとん」と割り込むべきタイミングに間に合わないのだ。
これは言うなれば、近隣のババアが僕から箒を「取り上げている」からこそ、僕は僕本来の剣を持たねばならず、それでいくつかのタイミングに「間に合う」ということが生じたということだ/この世界で成り立つすべてのファインプレーは、必ずそうした水面下の連係プレーで成り立っており、個人プレーでファインプレーということはありえない、だから個人で「自分だけ」を考えているやつはこぞってアホというしかないのだ。
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