☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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救われる奴のセンスは、「身の回りにある学門」

とえば僕は、洗濯物をたたむのがヘタだ。
ユニクロの店員さんなどがパパッとセーターをたたむのを見ていると「すげえ」と感じる、「なぜそうパパッと片付くんだ……?」と見ていて負けた気がしてならない。
そう感じるので、youtubeなどで「たたみ方」の動画を検索するのだが、それを見てマネをしてみても、いまいち上手くならないのだ/身につかないわけだが、そうして「身につかない」ということは、何か徳性が足りていないのだ、それで「くそ〜」と思いながら後回しにしている。
学門というのはこれだ、「あの人はできるのに、自分にはできない」「なんでだよ」「割と同じようにしているつもりなんだが?」「いや、何かが違うんだろう、だって結果が違うんだからな、ぐぬぬぬ」/このことを常に身の回りに見つけている人が結局救われていくと、僕は年の功から強く唱えることができる。

逆にいうと、救われない奴のセンスは、「十億光年かなたにある壮大な学門」だ、こいつは僕と同じくセーターをたたむのがヘタだが、そこでユニクロの店員に敗北していることを見ず、さも自分は宇宙の真理を追究しているがごとくに妄想し、自尊心を麻薬的に潤す。
もっと注目すべきことは、身の回りにいくらでもあるのだ、20tトレーラーをバックで車庫入れしている運転手を見て「すげえな、どんな感覚であんな正確に操作できるんだ」「おれなんかライトバンでもぶつけそうで怖いのに」と感じない奴は学門から逃避しているのだ。
救われない奴は、すっかり蛇に食われているので、たとえば魚を三枚におろしたときに、「ヘタクソか」「テメーぜんぜんできてねーじゃねーか」と言われることに恐怖し、もしそのように言われると、どんな理由があろうが憤怒と憎悪の炎が盛って止められないのだ、それで自分が傷つかずにすむ「壮大」なことへ逃避するのを日常にしている。
学門の入口は、明らかに身の回りにあるもので、「もう部屋が片付いたの? 早すぎない?」「パスタの茹で加減が完璧だな!」「そこを触るだけで果物の熟れごろがわかるのか」「お前ホタテを捌くの上手いな」「どうやってあんな奴に取り入ったんだ」「よくそんなにササッと適切な説明ができるな」「よくあんなときにあんなユーモアを思いついたな」「お前アイロンかけるの異様に早いな」「まったく枯れないけど、お前ってどういう感覚で水をやっているの?」というのが入口だ、僕の知る限り「壮大」に耽る奴は初代スーパーマリオもクリアできずにイラついて投げ出してしまうものだ。

卵チャーハンを上手に作れない奴は、解脱から一番遠い。

卵チャーハンなどが、一番シビアに思える、なぜなら材料や方法は誰だって同じだからだ、しかし人によって出来不出来は大きく変わってしまう、そこで「なぜこいつが作るとこんなにウマいんだ?」とハンカチを噛むのが学門だ/料理研究家でもそのへんのおっさんよりウマい卵チャーハンが作れるとは限らない、なぜなら卵チャーハンは「工夫」に逃げることを許さないからだ。
さあ、壮大なことを口で語るのをやめて、その手で身の回りに、己の学門の到達程度を証してみろ/僕は学門についてはしつこいので、いつかセーターをパパッとたたんで見せて、「ユニクロの店員かよ!」と言わせてみせよう、僕はそういうのが一番好きだ(ただしセーターたたみ道はいつまでも険しく遠いのだった)。

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