☆いい女☆で行こう!

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裏帳簿の赤字と黒字2
なたは海辺の畑に花の種を蒔いた、しかし花は咲かず、隣町の海辺には花が咲いていることをねたみ、そねんだ。
あなたは翌年、倍の種を巻き、倍の水をやり、倍の肥料を与えた、誰よりも花が咲くよう祈った、しかし花は咲かなかった、隣町の畑では何の努力もなく「当たり前」に花が咲くそうで、あなたは納得がいかず焼けるようにキリキリした。
あなたはわけのわからない男から命令を受けて、山の上にある廃屋を片付けるように言われた、あなたは「えー」と不満に思い、「どうしてわたしがそんなことしなくてはいけないの」「そんなことしたくないし、するつもりもないし、そんなことをしているヒマもないのに」と感じた、しかしあなたはふとそのことをやってみる気になった/これまでどうしても、畑の花が咲かなかったから。
あなたはヘトヘトになるまで、山の上にある廃屋を解体し、片付けた、そして海辺の畑に戻ってくると、なぜか花が咲いていた、そしてその年から何もしなくても勝手に花は咲くようになった。

あなたの知る由もないところ、その廃屋は以前、罪深い化学者の住居で、地下に保管されていた物質が漏れ出していた、その物質自体は毒性のものではなかったが、川縁の石灰岩と反応し、川の水を毒性のものにした、その水が畑の土を犯し、花を咲かせないようにしていた。
そのような仕組みが、前もってわかるならいいのだが、<<われわれは自分の身に何が起こっているのか、仕組みがわからない>>のだ、だから自分がわかる単純な発想だけで自分の身を救うことはできない。
われわれが持つべきセンスおよび可能性は、「山の上にある廃屋を片付けなさい」「あなたが片付けなさい」と言われたとき、その荒唐無稽と理不尽の向こうに、「ん?」と何かを感じ取ることだ、表面上は自分にまったく無関係に見えるが、それでもどこか「自分はこのことをしなくてはならない」というナゾの直観がある。
山の上の廃屋を片付けるということを、荒唐無稽で理不尽であるにも関わらず「わたしがやります」と引き受けたとき、なぜか「何かがすっごくラクになった」「ぜひやらせてください」「具体的に、この身が救われるという感触がある」「呼吸がラクになった、声が出るようになった」等の現象が起こる、この現象を見落とさないこと、逆らわないこと、そして誤解しないことだ。

玄関掃除とボイストレーニングで、どちらが「声が出る」ようになるかはわからない。

ボイストレーニングに半年間通った人と、世話になった人の玄関を半年間掃除した人とで、「何か声がよくなったね」という結果に至るのはどちらか、わかったものではない。
「なぜこの人は、こんなに佳い声が出るのだろう」と思える人に、「どうすれば佳い声が出ますか」と訊ねたら、「お前は山の上の廃屋を片付けてこい」とわけのわからないことを言われるかもしれない、一方で「こういうボイストレーニングがあるんですよ」と別のことを勧めてくれる人もあるかもしれない/そのときにあなたは思い出すこと、<<われわれは自分の身に何が起こっているのか、仕組みがわからない>>わけだが、あなたの目の前の人は、その「仕組み」をあなたより高いレベルで看破しているのかもしれない、もしくは本当にただの荒唐無稽を言っているだけのバカなのかもしれない。
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