☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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「かっこいい」と「かっこよくない」の理由
のところ、人の視認性を操作する、という、意味不明すぎて草不可避な技術に取り組んでいる。
なぜそのような技術を持っているかというと、このところそのことへの用事があったからだが、なぜできるのかというと、よくわからん、たぶん用事があったからできるようになっていたのだ(説明する気が無い)。
もともと人の視線や感覚的に「見える」ということを操作することは、できていたし、やっていたのだが、僕は自分が目立ちたいタチではないため(目立つのは苦手だ)、自分自身の視認性を上昇させるということはまったくやらず、僕は人目にはほとんど「消える」ということばかりやってきたのだが、ここにきて急に逆のことをやっているので、毎日フラフラに困憊している。
「視認性上げますか」「こんな感じで……上げすぎかな」「ん? もうちょっと下に位置ずらす?」といい、そのとおりのことをやってのけるので、友人は「なんだこのワザは!!」とゲラゲラ笑いっぱなしだ、自分でもわけのわからん能力で笑えてくるが、とりあえず「映画は小説より手品に近い」というあたりのことを、僕自身のためにメモしておかないといけない。

視認性というと、つまりダイレクトに視力なのだが、視力に流れ系としてアプローチするためには、要するに蝶形骨のあたりをゆるめないといけない、という感じだ/「たぶんこうだろ」という感じでやってみると、そのままそのとおりになるので、たぶんこれで合っているのだと思う。
その視認性を通してフィクション上の「世界」を生じさせようとすると、もちろんイメージなんかもうとっくに使い道がなくて、フィクション世界と合一したフィクション上の真我(アートマン)が直接見ている世界が直接演者に見えていないといけない、そうでないと客体はそれを想像力上に描き出すことができない(なんのこっちゃ)。
これまで僕は、「言葉」はわかる、「音」もわかる、「音楽」もわかる、「物語」もわかる、という状態で来たのだが、「映像」とか「音響」はまるでわからずに来たのだ、完全にシロウトで、これがどうなるものやら、これがわかるようになると「ダンス」も本当にわかったりするのかもしれない。
これらのメモ書きは、僕にしか意味がわからず、僕にしか値打ちのないものだが、さしあたり「表現やコミュニケーションは深入りすればマジでそういう事象に突き当たってくる」「人間のやるべきこと、面白いことは、まだまだいくらでもある」ということだけお伝えしておきたい/たとえ何千年生きても「やることがない」ということにはまったくならず、最後の最後までクソ忙しいだろう。

かっこよくないのは、わかっていないからだ。

誰だって、学校に行ったりし、部活で活動したりし、異性とイチャついたりし、就職したり、勉強したり、趣味を見つけたりする、その当たり前のことが、なぜか「かっこいい」人があり、なぜか「かっこよくない」人がある/それが「かっこよくない」ということは、「やっているけれど実はわかっていない」という状態だ、これはとても損なことだ。
刺激的あるいは蠱惑的に演出をベタ塗りすると、表面上は「かっこいい……かも」とだませるのだが、そのダマシは二週間もすれば完全に消えてしまう、そこで「かっこいい」「かっこよくない」は個人の好みではまったくなくて/正しくわかっていれば五〇〇年前の建築物は今でも「かっこいい」ままだし、だまされていれば五年前の流行物は今ではたいへん「かっこよくない」になってしまうわけだ。
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