☆いい女☆で行こう!

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男女平等と天地陰陽
会的に男女平等を押し進めることは、確かに一面の正義であるには違いないが、社会的な理念を無視する具合で、男女にはそれぞれ「陰陽」の気が伴ってしまう。
たとえば北島三郎と石川さゆりをならべたとき、北島三郎を陰と言うのはムリがあるし、石川さゆりを陽と言うのにもムリがある/最近は陰に傾く男も増えたが、それにしても基本的に男が陽で女が陰という性質はなかなか覆しがたい(相当な力業を仕掛ければ一時的な転覆も不可能ではないとは思うけれども)。
北島三郎(陽)は、「は〜るばる来たぜ函館へ」と歌うのだが、石川さゆり(陰)は「わたしは帰ります」と歌うのだ、両者とも同様に津軽海峡を越えるのだが、北島三郎にとっては北は「行く」ところであり、石川さゆりにとっては「帰る」ところなのだ。
北半球に住むわれわれにとっては、北(極方向)が陰であり、南(赤道方向)が陽なのではなかろうか、だから女性にとっては「南の島」のほうが「行く」に当たり、男どもにとっては南国こそ「帰る」ところに当たるのかもしれない。

まさか、相当な強弁を言い張るのでなければ、「津軽三味線」を習うのと「フラダンス」を習うのが、陰陽において「同列!!」ということはあるまい、陰陽というのはどうしても存在する。
もし、男がもともと陽の国の出身で、陽を地元とするならば、陰の国では旅人のごとく振る舞うべきだし、女性も同じだ、女性がもともと陰の国の出身であるならば、陽の国では旅人のごとく振る舞い、勝手に出しゃばりな振る舞いをするべきではない。
陰陽の気というものがどうしてもあり、たとえば一枚の写真を見たとしても、「光の当たり方がきれい」と見える者もあれば、「陰影がきれい」と見える者もあるのだ、同じものを見ていても同質の見方をしてるとは限らない、陽の側から見る者もあれば、陰の側から見る者もある。
極端な話、たとえば「軍艦マーチ」を聴いていると、戦争さえ当時の男どもにとっては、少なくとも陰気なものではなかったのだと信じられてならない、たぶんどれだけ男女平等を強化しても女性の半数が「軍艦マーチ」に到達することは不可能だと僕は感じる。

天頂から眺めた森林は、陽を受けて青々と光っているが、地から眺めた森林は、陽を閉ざして鬱蒼としている。

上から目線でものを言うふうになることを、どうか許されたい、僕は上位を気取りたいのではなく、上から見てあなたの森林にどれほどの陽が降り注いでいるかを伝えたいのだ。
あなたから見上げた光は逆光で「まぶしい」でなくてはならず、僕から見下ろしたあなたは照らされて「輝いている」でなくてはならない/もしそれを男尊女卑だというならば、「そのとおり、あなたの輝きはあなたにはわからない」と僕は申し上げよう。
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