☆いい女☆で行こう!

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三毒と六道と十二因縁
の身には、3つの毒が宿っている、そんなもんテメーのハラワタ探りゃわかるだろ、この3つの毒は「憎しみ(怨み、憤怒)」「むさぼり」「無知」からできている、これは煩悩の三毒と呼ばれる。
身近に知られているように、何かいつもブチギレているババアは、その後ますますブチギレババアに進んでいくし、課金モノにハマっているヤツはますますハマっていくし、脳みそがアレな人は、その後ますます脳みそが壊滅的なアレになっていく、そうして毒が進んでいくということだ、何も神秘的な話ではなく「実際そうだな」とすでに知られていることが説き明かされているだけだ。
この三種混合毒は、生きものの身の性質上、6つの流路に流れ込む、そしてそれぞれの流路において、2つの症状を呈するようになる、つまり「3つの毒が、6ラインで体内を駆け巡って、2つの症状を呈する、よって計12パターンの中毒症状が呈されうる」ということだ。
病院でいえば皮膚科とか消化器科とか泌尿器科に分かれているように、人間科・餓鬼科・地獄科・畜生科・修羅科・天科に分かれていると言える、たとえば「愛についてサカるのが止まらないんですが」と受付に言えば、「それでは畜生科の一番診察室の前でお待ちくださーい」と案内されることになるだろう。

すべての毒は、中毒、毒に中(あた)るのが問題であって、毒に中らないなら病院には行かないだろう/ここで煩悩の三毒はすべて「サカる」「サカって苦しい」「止められない、消せない」「溶岩か、炎か、自分の身を焼き続ける」という中毒症状で現れるのがポイントだ、いかなる症状のパターンであれ「サカる」ということ、そしてサカることで「見えなくなる」というのがポイントだ、「見えなくなる」ので自分ではどうしようもなくなるのだった。
この「サカる」「見えなくなる」の症状のまま、放置しておくとどうなるか? 三毒はやがてその身を乗っ取り、悪魔(mara/マーラ)になってしまう、そうなるとその後はマーラに乗っ取られたまま生きていくしかなくなる、この自家製の悪魔は「我」の「慢心」から生じているので、「我慢」(アートマ・マーラ)と呼ばれる、我慢に乗っ取られた身は力尽きて死ぬまでサカりつづける。
ここで重要な視点はこうだ、何が正しいとか、何か正しいことがあるわけじゃなく、<<「サカっている」ということがただちに「中毒」だ>>ということ、「この世界は虚無だ」とか「この世界は文化だ」とか「この世界は戦いだ」とか「この世界は権力だ」とか「この世界は五感だ」とか「この世界は愛だ」とか、何をどう言っても、どれひとつ正しくはなく、どれも間違ってはおらず、ただ<<サカっているなら中毒だ>>ということ、いかなる正義と真理の大爆発のつもりでも、サカっているなら「毒です、乙」ということ。
われわれが賢くなるということは、真理風情に達観ぶるということでもなく、情熱風情に自己PRするということでもなく、もっとアホが自分に向き合うということ、つまり「おっと、いつもの毒が出てきましたぁ」「おっと、マーラですよマーラ」「まーた乗っ取られモードが近づいてきたぁ〜」と、毒まみれの身を遊ぶことだ、遊びながら窘めるしかないのだ、自分のうちにせりあがってくる毒気の手ごたえに「待て待て待て待て」と、深呼吸の汗を流すのだ。

全身に12個の電球でも付いてりゃわかりやすいのに。

この電球は、エラーシグナルであって、つまり原子力発電所の操作盤インジケーターのように、「アカン圧力が掛かってまっせ」というときにペカッと光るのだ、正常に運転されているということはこれらの電球がひとつも光らず運行されているということ、その電球がペッカアアアアーと光っていることは何の自慢にもならない、「発電所ってそういう意味の発電所じゃねえよ」と言われるだろう。
サカるから見えないわけだし、「見えていないからサカる」のでもある、サカるのをやめろというわけじゃないし、「やめろ」なんて言われても無駄だ、それは中毒でサカっているのだから/だが正しい知識は持て、サカったときに見えたような「気がする」何か、サカったときに「絶対に」「間違いない」と覚える確信は、妄想だ、悪魔(mara)は人に妄想を見せるのが一番の得意技だ。
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