☆いい女☆で行こう!

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「毒づく」というメカニズム
教的に言うと、修行とは煩悩の毒を抜きさることなのだから、いわゆる「毒づく」ということが、修行の「逆」を行くことになる。
つまり、「よーし、肉を洒脱し、身を進ませることの、わたしは逆をいくぜ!」というパンクな思想が、たとえば給湯室でえんえん「毒づく」という方法になる、それで給湯室のボスであるお局様は身が凄まじく濁ったおっかないものに育っていく。
そんなことになるぐらいなら、毒づくのをやめればいいのに、と単純には思われるが、そうはいかないのだ、なぜなら<<人は停滞に耐えられない>>からだ、人は道を進めないなら「穴の中を落ちていく」ということをよろこぶ。
人の生きる時間は有限なので、人は昨日の自分と今日の自分が「まったく変わっていない」ということに耐えられないのだ、それなら毒づきに毒づきを重ねて、昨日よりまた恐るべきババアに近づいたというほうが、癒されるし落ち着くということになる/もちろんすべては乱高下しながら、上昇するにも株相場のように上昇することを祈るしかないわけだが……

「行道のみが頭燃を救う」という言葉が、学道用心集にある、これは停滞の「うわあああ」から逃れるには道を行くしかないという意味だ。
だが行道と言われてもわれわれにはさっぱりわからないし、菩提心なんか起こりっこないので、われわれは頭燃を救うためには、外道でも「行ったれ行ったれ」となるのだ、そうしたらさしあたり「うわあああ」を忘れることはできるから。
停滞というのはキツいのだ、たとえばあなたが一年間小説を書けば、その一年は伸びるだろうが、その次の一年は伸びない、それどころかモチベーションがゼロどころかマイナスになって、苦痛でしかなくなってくる。
そのことに比べると、たとえば筋トレの裏切らないことといったらない、筋トレはやれば必ず進む、ハードな筋トレをしたら筋肉量は決して停滞しないのだ、すると自分は何かをやっている気になれるので「うわあああ」から逃れられる、何の解決にもなっていないがそういうことなのだった。

内心で「クソがあああ」と言いながら筋トレすれば、現代のマンガになる。

そういう「強化」が必要な状況も、生きているうちにはある、「毒づき、外道を用いてでも、この状況から脱出せねばならない」というようなときだ、ただしそのぶん、声や口や眼差しは薄汚れてしまう、そのことは引き受けるしかない。
ポイントはどこまでも、「人は停滞に耐えられない」ということ、<<進めないとなったら自動的に「毒づく」ということをやりはじめる>>、自分で止められるものではない、自分の進む道に踏み出せるときまで「毒づく」をやめる(またはやめさせる)ことはできない。
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