☆いい女☆で行こう!

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「悔しい」という原動力
近、目が利くようになり、スポーツ選手の表情がわかるようになった。
スポーツというのは、大柄の格闘技選手は別として、基本的にすべて「悔しい」という感情を原動力にしている。
眼の奥、額の奥、頬の奥に、「やっぱ負けたら悔しいんで」「あんな悔しい思いもう二度としたくないので」「勝ちたい」という感情が煮えたぎっている。
「悔しい」という感情は、どういうものなのだろう? そのことへの解答はありえないが、解答のないまま、「悔しい」という感情を完全肯定してフルブーストをかけたものが、スポーツの原動力だと思う。

確かに、「悔しい」という感情を、抑圧して隠し持っていたら、人はおぞましいバケモノになってしまうだろう。
だから堂々と、「負けて悔しいなら、自分が納得するところまで戦うしかないでしょ」と向きなおるという、このスポーツ的発想は順当だし、とても納得がいく。
とはいえ、「悔しい」という感情を、当然でしょと完全肯定して、フルブーストをかけることが、人にとってどういうことなのか、未だ誰も知らないし、僕も知ろうとは思わない。
僕がこれまで、スポーツのことがよくわからなかったのは、僕はこれまで<<栄光は感情ではない>>と思っていたからだ/果てしなく煮えたぎる悔しさの海の中に、一つだけ浮いた玉座があり、その玉座を勝ち得た者だけが、悔しさにまみれることなくすべてを見下ろすことができる。

この世にやさしい女などいない。

……と、見える、少なくともスポーツ分野を見ているぶんには、男性も女性も必ず「やさしい」より「悔しい」が上回っている/ちょっとしたことでも悔しさの溶岩はせりあがり、その眼の奥、額の奥、頬の奥に、もともとやさしさなどなかったという真実の表情が暴かれよう。
「悔しい、悔しい、悔しい」と、きっとこの言葉を何万遍も唱えるだけでも、人はその方向へ傾いていく、際限なく煮えたぎる「悔しい」という溶岩は、人にとって虚妄なのか真実なのか、僕はこれまで目が利かなかったので、その表情に「悔しい」という原動力がみなぎっていることが見えなかったのだ。
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