☆いい女☆で行こう!

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栄光の煌(きら)めきと自信
日、急な活断層破砕のような体調不良がやってきて、それは嵐だった、額を突き割りそうな痛みと拍動が内部から湧き上がっていた。
(わたしはこの痛みを知っている)、と、内心で思っていた、「久しぶりだな」とも、もともと僕は偏頭痛の持病持ちだった、悪寒と痛みは異常の閾値に至り、全身に脂汗が吹き出てくる。
つまり……僕は昨日、幾人かのスポーツ選手の表情から、その原動力に「悔しさ」があることを視認したのだが、その感情と思想に同調するより以前に、視認するだけでも――カルマに合っていない、断じてのお叱り、という様相を食らわされた。
昔より身の進んだ僕は、かつてなら数日は疲弊したであろうこの嵐を、数十分ほどで過ぎ去らせ、昨夜はとにもかくにも眠り、今は嘘のように春の風が全身を通り抜ける心地なのだが、思えばこのような激しい痛みと昏倒、脂汗は、僕が決定的に学門を進めるときに必ず不随していたものだった/己のうちに残存する毒に向き合うとき、人は嵐にまみえる、僕はどうしようもない数十分のあいだ、「なるほどな」と感心しながら苦しむよりなかったわけではあるが……

「悔しさ」を肯定する側が、僕の表情を看破したとき、やはり毒の嵐にまみえるのか? それはわからない。
だが僕は、スポーツだけでない、「悔しさ」を肯定するか否かについて、すでに検討する権利すら与えられていないといえる/春の風を信じず余所のことに疑問を持つことは、それ自体僕が僕自身に向ける冒涜にあたるようだ。
奇妙なことだが、僕は僕自身を冒涜し、謗り、傷つけ、貶めるということが、僕自身においても許されていないらしい、なんだその不遜さはと訝しみたくなるところだが、身に起きてしまうことを今さら隠したり偽ったりすることもできない。
「悔しさ」はどうやら、「毒」だと断定するよりないらしい、これを毒だと断定すると、いろいろ世渡りがむつかしくなるのだが、もうこのことに逆らってはいけない、脂汗の吹き出る痛みの嵐、全身の悪寒は、これぞ「毒」という感触だった、この事実にどう逆らうことができようか。

僕が見たスポーツ選手は、栄光のさなか煌(きら)めき、しかし自信を与えられたわけではなかった。

それは、<<勝っているということと、生きているということは違う>>からだ、人は悔しさから、その苦しみを逃れたいと欲し、自分自身から手を離してでも、勝つということを選ぶ、そして勝利の栄光は彼を救うかに見えるが、栄光の中にかつての彼自身は存在していない、栄光に浴したのは実は「彼」ではないので……栄光はその後ますます彼を追い詰めていくだろう/栄光の座を追われたときには、彼は最も曲がり歪んだ「自分探し」を始めねばならなくなる。
それぞれ別個に生まれた人間は、あるいはすべての生きものは、唯一の性質だけ共有して生まれている、「毒が回れば苦しむ」ということ/この毒は中毒しているときはサカってわからないのだが、やがて毒そのものの症状をもたらす、この毒とはけっきょく共存できないのだ。
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