☆いい女☆で行こう!

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現代女性の「身分」について新説

分で言いながら「なるほどな−」と感心してしまったのだが、この見方には新しい可能性が秘められている。
現代において、なるべく男尊女卑は撤廃され、半ばていどではあるかもしれないが、男女平等ということが成り立ってきている。
少なくとも、たとえば合コン的な状況においては、「よろしくたのみまーす」と頭を下げてヘコヘコすべきなのは男のほうだ、セックスおよびそのことへアプローチするトライアルの機会をぜひ下賜され度く、何卒、というのが健全な男性の立場だろう。
男女平等の上に、フェミニズムの思想も、その実効を結実させてきたと見るべきだが、新しい視点というのはこうだ、「男女平等およびフェミニズムの結実が、女性の身分を『向上』させたとは限らない」ということ/むしろその逆に、なぜか「女性の身分を谷底に落とした」という可能性も、改めて考えられなくてはならない。

ここでいう「身分が高い」というのは、社会的なことではなく、あくまで本当の「身」のこと、「身」そのものに現れる徳性について、その身分の格差を見つけることができる。
「身分が高い」ということは、1.身のたたずまいと振る舞いが、快活かつ清廉であり、肌は光るがごとく華やかでありながら静寂をその背後に保っている、身のそばには常に聖の香気が漂う、2.眼差しは清明であり、思慮は清澄で透徹、慈悲と慈愛にすぐれている、汚らしい発想が起こりえず、気心に荒廃が起こりえない、その身のうちに我慢を持たない、3.その声は濁りなく、野卑さをもたず、遠くまで清らかに響き、人々の耳ある身をよろこばせ恢復と栄進をもたらす、また思考は理に優れて明晰であり、話されることは理路整然として妙果に満ちている、4.その言葉には邪が伴わず、おのずと楽音のごとく並びたち流暢で、ユーモアとウイットに富みながらも、詩文の趣を形成していく、というようなことだ。
男女平等とフェミニズムが結実した後の世界、つまりわれわれの現代のことだが、この世界で、女性たちがこのような「身分の高い」存在になりえたかというと、そのことはいかにも肯定しがたい、どちらかというと現代の女性は、男勝りに乱暴であったり、逆転して人工甘味料のように甘みづけでかつ対価報酬的あったり、「ぶっちゃけさあ」と声は汚く、言葉はメチャクチャ、気分は毎日乱高下、眼差しは不明で混濁というかそれ以前に「目を見るだけで怖い、おっかない」だったりして、余計なことを言えばすぐ激昂しそうだから手がつけられない、という実態がある。
このことから総括的に見ると、「男女平等とフェミニズムが、女の身分を落とした」という仮説が有為に検証の値打ちを持ち始める、もちろん「どうしてそんなことになったの」と言われても「さあ」としか言えないし、「男はどうなの」と言われても「似たり寄ったり」としか言えない。

女性の「身分」を上昇させるには、まったく別のノウハウがあったのかもしれない。

たとえば中世の世界があって、町娘が男に向けて「だんなさま」「おまえさま」と呼びかけたりする、すると町娘の社会的身分は低いのだなとわかるが、このとき町娘の「身」そのものが荒廃している印象はまるで受けない、町娘が「ぶっちゃけさあ」「マジきっしょ」と口汚く言い出すとは思えない、この町娘の身分は低いけれども、「汚らしいもの」ではまったくない。
とはいえもちろん、そうして中世において女性の社会的身分が低く差別されていたという問題は見過ごせないし、女性の権利が男性との比較上で迫害されていたことは疑いないのだ、その不当な差別を撤廃することは正義だったに違いない、だがその正義が何の代償も必要としないという見立てだけが大甘だった/女性の権利回復のためにこそわれわれは「汚らしいもの」になったのだとすると、そのことは引き受けねばならないし、それを自らの「選択」だと誇るべきだ、われわれが「汚らしいもの」であることはナイスなのだ。

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