☆いい女☆で行こう!

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自分の頭の中と、他人の頭の中

うか、わかったぞ、「自分の頭の中と他人の頭の中の区別がついていない」のだ。
武井壮さんが、「月に100時間働いて10万円もらうより、100時間本気で何かの能力磨くか学習する、そのほうが稼ぎは大きくなる」とツイッター発言したところ、フォロワーから「バイトしたくてしているのじゃない、経済力がないので100時間の猶予がないのです」と反論および反感が起こったらしい/僕はこの手の反論の出方に、いつも「えっ?」という不思議さを感じている、その反論の内容がどうこうではなく、なぜ反論へ向けてトリガーが引かれるのかがわからなかった。
これはずっと不思議だったのだが、おそらくこうだという理由が見つかった、「武井壮さんの頭の中と、自分の頭の中の、区別がつかない」のだ/武井壮さんの頭の中を覗けば、それは自分の頭の中とは違うはずだが、本来「そりゃ違うだろ」と見えるのが当たり前であるはずのところ、「違う!!」ということにストレスが生じる人があるのだ。
僕はもともとフィジカルな人間ではないし、武井壮さんの発言について、反感もなければ賛同もないが、そもそも他人の「話」を、反感や賛同をもって迎えるということ自体が僕には感覚的にわからない、仮に「人生はギャンブルだ!!」という人がいたとして、僕はヒューと口笛をして拍手する気にしかならないだろうし、「日銭じゃなく投資だ!!」と武井壮さんが言ったとしても、やはり口笛と拍手しかしないだろう。

おそらく、友人や恋人のいない孤立環境の中で、連日ツイッターやスレッドやSNSの無差別投稿を読んでいると、自分の頭の中と他人の頭の中の区別がつかなくなってくるのだ、つまり「ボクの頭の中を、この人はわかっているはずだし、わかっているべきだ」という妄想が起こってくる。
たとえば、テレビの中の誰かが、「一時間程度のジョギングはメリットしかない、これをしないのは人生の損です!」と言ったとして、僕はランニングすると膝にナゾの持病が出るのでたぶんやめておいたほうがよいのだが、そんな僕の頭の中を、テレビの中の誰かがわかっているはずがない/それで、一時間のジョギングはメリットづくしという話を、僕は何の違和感もなく聴いていられる。
ここでもし僕が、「自分の頭の中と他人の頭の中の区別がつかない」という状態だったとしたら、テレビ局に電話してクレームを言うのかもしれない、「膝の持病を抱えている人だっているし、その数は少なくないんです!」というふうにか、そのときはきっと、「どうしてわかってくださらないの」という意味不明のボクの正義が燃えさかっているだろう。
現代の人間が、陰キャだったり「うぇーい」だったりで、会話ができずコミュニケーションに障碍を持ってしまったのは、これが原因だ、1.自分の頭の中と他人の頭の中の区別がないので、何を話したらいいか、また何を話すべきか、わからないのだ、2.しかも、何を話しても自動的に土足で頭の中に出入りすることになり、依存か不快感情のどちらかしか起こらないので、リスク管理の事情としても話すことはできなくなるのだ、これはSNSメディアが自我同一性に侵入してきて破損をもたらす現象だと捉えていい。

あなたは大変だが、武井壮さんは大変ではないのだ、そこが「それでいい」のだ。

一日一時間のジョギングはメリットしかない「らしい」し、100時間稼ぐより100時間研鑽するほうが稼ぎは大きくなる「らしい」、それぞれに説得力があるが、他人の示してくれたideaが、その時点で自分のideaと関係があるかというと、まだない、他人の示してくれたideaは、自分が「なるほど、それでいこう」と採択するまで自分のideaではまったくない。
武井壮さんだろうが、僕だろうが、誰だってそうだが、誰一人もあなたの脳内で発言はしていない、自分の頭の中と他人の頭の中の区別がつかなくなった人は、常に依存先とストレス先を探し回る不毛なセンサーのような生き方になってしまうはずだ/あなたの脳内でないものをあなたが修正なんかしなくてよろしい。

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