☆いい女☆で行こう!

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僕がいい思いをして、女もいい思いをする

日と一昨日は、いつのまにか風邪を引いていたようだった、今はすっかり治って、すばらしい春の夜だ、19時には無限に紺色の空があった。
近頃流行しているらしい、「女性」をどう再定義するかの議論を、ウェブ上に散見しながら、「嫌われるのが華だねえ」と思った、僕は正義の人に無限に嫌われていくだろう、それは僕にとって幸福なことだ。
嫌われるというのは、快適なことだ、なぜなら正義の問答からお誘いを受けなくなるからだ、それよりは何百人も見てくれているここでヘラヘラと悪態をついているほうがよほど快適でいい。
もともとうまくいっていない男女の輩が、定義をすりかえたところでうまくいきなおすということはやはりないだろう、僕にとっての実りとは正義の人に嫌われることで、正義の人にとっては僕のような輩を嫌うことがきっと実りだろう、いつだって「ごきげんよう」という言葉の範囲を超えはしない。

僕は男で、男としていい思いがしたいし、気に入っている女にだって、女としていい思いをしてほしい。
いい思いができなくて、内心こめかみの血管が切れそうになっている女を見ると、男もだが、それは誰だって気の毒だ、そんな果てもない紛糾をするためにこの世に生を享けたわけではあるまいに。
僕は男女差別をするつもりはなく、男女平等を愛しているが、実際には差別は自動的に発生している、ただし<<僕がいい思いをして、女もいい思いをしないのなら、その差別を強行するつもりはまったくない>>、ごく例外的に僕に差別されるのが幸福なのという女性に対してだけ、僕は自然な付き合い方をするようにしている(その他の場合は、僕が嫌われりゃ済む話)。
今、どんな議論が紛糾しているのだろう、よく知らないが、議論は正しくなされるべきだと思う、実際に迫害されている女性もいるからだ、ただしどのような正しい再定義が為されたところで、僕は僕自身が正しいヤツになる気がないので、こんな正しくなる気のないヤツは議論の前提に入れないことだ、嫌われるということはまったく生きた心地のするものだぜ。

カンニング男を大量生産することは、女性の歓喜に寄与するだろうか。

そういう壮大な社会実験が、今、為されているようなところだ、男が女に対してどう振る舞えばいいかということを、モーレツにカンニングしろということだ、そうすれば女性が大満足する世界が待っている、ホントかどうかは知らない、それを保証する義務は僕の側にはまったくない。
もちろん正義の議論をされている方々におかれては、「いい思いがしたい」などという性悪は完全償却、とっくの昔に解脱済みなのだ、僕にはそのような解脱はムリなので、いい思いをさせてくれる女性を募集中です/少なくとも僕はカンニングまがいのことはしていないな、僕用の差別辞典なんて誰も議論してくれないからな。

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