☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< どの角度からも、男が「クズ」にしか見えない現象2 | TOP | よし、やめよう!! >>
どの角度からも、男が「クズ」にしか見えない現象3

うか、わかったぞ、1.すべての男女平等論は男のいないところで編み出されている。
そして、2.男尊女卑を唱える者は男ではなく、セクハラをする者も男ではない。
3.男尊女卑者、セクハラ者、そして女性の三者で議論される男女平等論であるので、男が介在していない。
4.男でない者に向けて生じた非難が、単純性別の認識上で「男」に向かう、その讒謗に非を感じて、特に女性は悪寒を覚える。

つまり、「男」というのは性別のことではないのだ、「格」のことなのだ、男性がこの格に到達できるとは限らないし、女性でもこの格に到達することはできる。
もともと、男性中心の社会において、男性こそがその格に到達するべきとされてきたところはあっただろう(それは確かに偏った差別だった)、その点では「女性も一定の格に到達すべし」と唱えられてよい、唱えられてよいというか、そのことはもともと援助はされていなかっただけで、否定はされていなかっただろう。
現在模索されている男女平等論の現場には、「男」という格の当事者がいない、男性も格に至らず、女性も格に至っていない、この格の本質を忘れて単に「セクハラをする性質」を「男」とみなしているので、議論は不穏になり、何か地獄めいた様相になるのだ。
こう考えればわかりやすい、「男女平等論の中に、『男』は捉えられていない」、つまり「セクハラさんは男ではないですよ」ということだ、「男性だからって男とは限らないですよ」と、ただしそのことは、格に到達した「男」に出会ったことがなければわかりようがない、「男」という格の事実を体験するまでわかりようがない。

性別と「男」を区別せよ。

男性のリビドーは女性に向かうが、「男」は違う、「男」のリビドーは普遍化して世界のすべてに向かう、世界のすべてをわしづかみにする男が、女をわしづかみにしたとして、その手は世界に対するわしづかみ行為をしているので、セクシャリティに限定された行為にならない、だから「セクハラ」にならない。
リビドーが普遍化して世界すべてにアタックする人を「男」と呼ぶのだ、ちなみに女性は身体の機構上(アタック機構が器官的にない)、この「世界のすべてにアタックする」という境地が想像しにくい、だから学門なしに感情的に考えると「男」を想像できずリビドーが性欲に限定された「男性」のことしか想像できない(このことはBL流行と関係があるが紙面が尽きてしまった)。

視点変えてこ | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |