☆いい女☆で行こう!

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「陰気なスピリチュアルおばさんに与するな」

国やら地獄やらが本当にあるのかどうかは誰にもわからない、少なくともわれわれのような凡人にはわかりっこない。
ただ、天国そのもののインスピレーションや、地獄行きのインスピレーション、そのヴィジョンを「もろに見る」ということは人によってあるみたいだ、ここで「インスピレーション」の存在を否定するのは科学的にアホというかデタラメにしかならない。
もちろん、インスピレーションがあるからといって、それが天国や地獄の存在を科学的に保証することにはならない、科学というのは定量と評価が可能かつ再現性のある方法にしか認められないのだから、定量も評価もできない天国やら地獄やらを科学的に証明するという話自体が破綻している(そもそも生死の極限すら科学的にはわからないままだ)。
ただそれでいうと、実は鎮痛剤だってどの程度効くという「評価」は不可能のまま、われわれは鎮痛剤を使っているし、全身麻酔のときに用いる吸入麻酔にいたっては、実は「なぜ効く」のかはまったく解明されないまま使われているのだから、われわれの科学は万全でもなければ万能でもない。

この種のネタに関するかぎり、僕は「陰気なスピリチュアルおばさんに与するな」と提言したい、陰気なスピリチュアルおばさんは、"ひょっとしたら"陰性のインスピレーションやヴィジョンについて詳しいのかもしれないが、それは「けっきょく解決できてねーじゃん」ということでもある、われわれは不穏なものを<<共有したいのではなく払拭したい>>のだ。
揉めたり、議論したり、炎上したり、ケンカしたり、騒がしくすればインスピレーションは「見えなくなる」が、見えなくなるということは払拭されたということではないから、目を背けているだけだ、それは姑息的手段としては有効だが、払拭するとか超克するとかに向けては根本的にネガティブだろう。
陰性のインスピレーションを宿されている人は、どうしても、陽気な人より陰気な人のほうが「話がわかる」「肌が合う」「共感できる」「励まされる」と感じてしまいがちだ、また、陽気で光性のインスピレーションが宿されているという人がどうやら割合としてかなりの少数らしいという実情もある、そんなこんなで、陰性のインスピレーション者がよりにもよって「同胞」で集まってしまうことがありがちだ、これでは集いやすいが解決のメドはまったく立たないという方向へ閉じ込められていってしまう。
世の中にはまともな宗教というのもある、ちゃんとド天才が教えてくれたことを元にして、陰性インスピレーションとして「地獄に落ちるに決まっている(地獄は一定すみかぞかし)」と感じていたところをなお救われたという、そのノウハウを説き明かしてくれている知恵の伝導もあるのだ、宗教のたぐいは信じるかどうかというより「疑うか否か」というところが肝になるが、「何の根拠もなく信じるのはバカ」と捉える人がある一方で「何の根拠もなく疑うのはバカ」と捉える人もある、前者はなぜかド天才の叡智を信じず陰気なスピリチュアルおばさんのダウジングやタロットカードを信じることが多い。

陰性インスピレーションの人は、「解決できていない人」が好きだ。

単純に考えれば、陰性インスピレーションの人は、それを解決するため、解決済みの人を頼るべきなのだが、解決済みの人はすでに陰性インスピレーションの人ではなくなっているため、肌が合わないというか、ナゾの抵抗、ナゾの馴染みにくさを感じるのだ、それはナゾの怒りや、ナゾのコンプレックス、ナゾの耐えがたさ、ナゾの震えやナゾの拒絶、ナゾの嫌悪・否定などになったりもする。
つまり陰性インスピレーションの人は、なんだかんだ、「居心地のよい陰性のつどい」を形成していきがちだ、そりゃ性質的にそうなるのはしょうがないのだが、冷静に見れば「破綻してるだろwww」と草不可避であるには違いない、頭のどこかにこの冷静さを残しておくことだ、谷底にいる人は谷底でつどいを形成するのが解決ではなく、そのつどいの誰かが山上にいる誰かに連絡を取らねばならない

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