☆いい女☆で行こう!

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平等主義のミエミエの矛盾と弱点

はあなたに、「あなたはジャージを着なさい」と命じるだろう。
「あなたはジャージを着なさい、こちらの彼女にはサテンのドレスを着せるからね」と。
そうするとあなたは、「差別された」「この人は差別主義者だ」「人を身分で差別する人だ」と感じて憤り、正義の主張を――内心にであっても――為そうとするだろう。
だがよくよく見ろ、本当によくよく見ろ、本当の差別主義、身分主義はあなたのほうだ、ジャージとドレスとのあいだに身分格差があると見做しているのはあなたのほうなのだから。

誰も気づいていないのか、とはさすがに想像したくないが、実は平等主義というのは、このミエミエの矛盾と弱点を内包している。
平等主義というのは、必ず背後にある身分主義から成り立っているのだ、なぜなら身分が存在しなければその身分を平等にしようとする発想そのものを持ち得ないのだから。
ジャージとドレスのあいだに、身分の格差を感じているからこそ、「全員ジャージか、全員ドレスにするべきです、差別は人を傷つけます」と発想しているのだ、これは人間の業であって、犬や猫ならドレスかジャージか元々の毛皮かで揉めたりすることは決してない(人間道、十二因縁の「識」)。
たとえ作文の課題には出されないにしても、あなたは自分なりにこの問題に対する回答を準備しておかなくてはならない、つまり「身分はあるのか、ないのか」について、「ない」と唱えるならあなたはみんなの足下で食事をしなくてはならない(頭上にいようが足下にいようが「身分」はないのだから)。

正直、僕は自分ひとりだけジャージで、みんなの足下で食事をしても平気だ。

そのことに耐えられるとか、ガマンするとか、受け入れられるとかいうことではなく、僕はそういうことについては一ミリも情動は生じないのだ、僕のことを直接知る人ならよくわかっているだろう、「こいつは本当にそういうことには何の反応も生じない、その点はガチでヤバい奴だ」と。
つまり、あなたが僕を、あなたと「平等」に扱おうが、あなたの「頭上」に崇めようが、あなたの「足下」に見下そうが、僕の側の情動はゼロであって、情動が揺れ動くのはあなたの側だけだ、じゃああなたの側だけに「起こっていること」は何なのだろう? そして僕の側の情動はゼロだとするならば、あなたにとって本当に一番気持ちいいのは、平等の僕なのだろうか、頭上の僕なのだろうか、それとも足下の僕なのだろうか/テーブルの上にイスを置いても、テーブルやイスが気分を害するわけではない、気分を害するとしたらあなただ、「こんなとこに置くものじゃないでしょう」といって、あなたは気持ちのいいようにテーブルとイスを配そうとするはずだ。

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