☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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おう、おう、とハッピーにふらふら〜
は基本的に人が好きだ。
好きだ、とは別に思っていないのだが、実際に人と接しているときの心境や態度を見ていると、好きなんだろうなと理解できる。
別にアホなやつでも、あんまり美人じゃなくても、実はあまり気にしておらず、なんというか、第一にふつうのワンちゃんを「おう、おう」と感じるように好きらしい(正直あまり考えてないな、実際の場面を思い出すと)。
まあ、人に対してだけではなく、食いものを置かれてもおもちゃを置かれても、何を置かれてもけっきょくそれに「おう、おう」と食いついてポカーンと自我を忘れるので、好きというのか何というのか、本当に何も考えていないらしい、自分でいつもそうしていることを思い出してみたのだが、思い出してみたらわれながら「これはひどい」と思った(他人事のように「なんやこいつ……」と思った)。

人が好きというより、とにかく現場が好きなだけかもしれず、それも「好き」というのもなあ、本当に何も考えていないからそのときのコイツは。
ただ、ワンちゃんでもそうだが、「おうおう」と構ってみたとして、何か「……」とワケありというか、何か事情があり、何か不穏なことがありますよという気配なら、「はいはい」とこちらが引き取って、「まあ知らんしわからん」と、別のほうへふらふら行くみたいだ(やべえな、ホントにコイツ何も考えてないわ、こんなのでよく無事に生きてこられたな)。
つまり僕は、何か本心でもない「約束事」とか、そういうことを強いられないかぎり、すべての局面で同一にハッピーらしい、ハッピー事にはふらふらと近寄り、不穏事を見るとふらふらと去っていくらしい、去っていくというか、別の方角にあるハッピーに向けてふらふらと行ってしまう様子、とにかくこいつは「感動していないときがない」らしい(なんだコイツ胴体にマジで何か流れてるな)。
自分で言うのもアホみたいだが、たしかにコイツは、点検してみると、ふらふら〜と挙動するその挙動の決定が、意思決定じゃないので時間軸上「あれ?」というぐらい早い、動きを決めるのに予備動作がないというか、どれだけ記憶を点検してみても、行動や発言は「明晰」なのに、そう行動してそう発言しようと「企図」した時間が検出されない、なんなんだコイツは、みんなよくこんなヤツを平気で認めてあげているな、みんなえらいやさしいんじゃないの。

みんなの期待の目が突き刺さっている。

記憶を点検すると、ほとんどそのこと「だけ」が光景に残っている、大変恥ずかしい話だが点検した結果をレポートすると、僕はその向けられた期待の目に「愛」で応えているらしい、「愛」で挙動が決定している様子だ、何か水色の気配の(半分液体で、半分気体ののような)モンが胴体の中を駆け巡っているが、これがどうも「愛」くさく、そして誰かに愛を向けるというよりは、その水色の流れているモンが爽快で「んんんん」なので、ただそれだけのために、その流れているものがよどまないようにだけ挙動しているらしい。
つまり、この「愛」は、何ら努力でもないし、特に「人のため」とか「誰かのため」というのでもないな、肉は紅色をしているのだがその中に水色のモンが流れている、爽快、爽快ってなもんで、現場に行くといつもこれなのね、ちなみに僕は「圧倒されちゃって」と言われるのだけが好きなのでスピリチュアルな人ではまったくない、ああ世界の中にいるのだなーということが自己観察からわかって、文章を書くのにさらなる足しになったのであった(意味不明だが許せよ、これで合っているので)。
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