☆いい女☆で行こう!

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天地と人についての与太話3
「重さ」と「エネルギー」は、同一というか等価のものだ、これは相対性理論の結論なので僕が主張する筋合いではない、重さはエネルギーの一形態にすぎない。
われわれは「罪の重さ」という言い方をするが、相対論的にはこれは「罪のエネルギー」と等価だということになる/質量保存の法則があるので、「重さ」が消えることはふつうありえないが、この質量保存の法則は相対論において破れる(つまり核反応等なら質量はエネルギーの形に転じるので重さが"消える"ことは起こる)ので、「罪の重さ」が消えるという可能性は相対論においてはありうると言える。
そんな、「罪の重さ」なんて観念的なものを、物理的なものにコジツケても……とは思うが、いいのだこれで、表面上何かヤベー奴の話に聞こえてしまうのもしょうがない、そもそも「罪」なんて観念的なものを「重い」と言い出した奴が悪いのだ。xw
さて改めて、「罪の重さ」には何が報われるかというと、一般的には「重い罰」だ、罪に対しては罰が向けられる、罰によって罪を贖(あがな)うことになるのだが、実はこれ、「罰を受けた」からといって「償いをした」ことにはならないのだ/「罪と(刑)罰」の思想は、罪そのものは「消えない」という前提から成り立っているので、現在の罪刑法定主義は「償い」という可能性を放棄している、うーんこんな話こんな短い文面にまとまるわけがないだろ!!

人は罪を犯してしまうし、罪を犯してしまうと一般的には罰を受けることになるのだが、この罪と刑罰の発想は、人が罪を犯す原動力・そもそもの仕組みには立ち入らないことが前提になっている。
なぜ人が罪を犯してしまうかといえば、それは「業(ごう)」があるからだということになる、蛇にそそのかされたエヴァが禁断の知恵のリンゴを食べてしまった(原罪)のも、そもそも人の身に「優れたものを食べてみたい、向上したい」とさわぐ業があったからだ。
人間の身は、罪の重さによる「沈降」と、業のエネルギーによる「散華」が、同一等価でせめぎあって成り立っているのだ、人間の身は「上から見下ろす」と罪の重さに沈みゆくほかないと見えるし、「下から見上げる」と散華して光そのものになりゆく可能性があると見える。
仮にわかりやすいように、一般でもない特殊でもない、「秘密相対性理論」でも勝手に名付けておこうか、秘密相対性理論によると、人間の業は散華すると光(のエネルギー)になり、沈降すると罪(の重さ)になる、形態が変わるだけで同一のものだ、ただ散華と沈降では魂の行く先が異なってくる。

罪の重さには罰の重さが対応し、業のエネルギーには散華のエネルギーが対応する、この二つは形態が違うだけで等価のものだ。

簡単に言うと、誰だって自分の身は「ヤバイ」のだ、それは人間なのだから誰だって変わらない、その身のヤバさはけっきょく変わらないのだが、ヤバさのせいで地獄に沈降していくか、ヤバさのせいで天国に散華していくか、その「形態」が異なってくるということだ。
……この感じでいくと、ホーキング博士が指摘したブラックホールの蒸発のみならず、すべての質量そのものが、とんでもない"永劫"の時間の中で「蒸発」していっているということはないのだろうか? Dブレーンから蒸発したものがどこへ行くのか僕のような無学者にはさっぱりワケワカメだが、誰かいつか超絶賢いやつが本当のことを説き明かしてくれるだろう(誰かたのむ)。
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