☆いい女☆で行こう!

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テニサーからトランスがイケてるだったあのころから
が神戸で大学生だったころは、猫も杓子も「テニサー」の時代だった、大学ごとに「いくつテニスサークルあるねん」と呆れるほど、テニスサークルは乱立していた(あまりテニスはやらないテニサーがほとんどだった)。
その後東京に出てくると、渋谷のクラブはどこでも「トランス」だった、深夜になるとエイジアの周辺は何かぐっちゃぐちゃだった気がする。
小さい「ハコ」にも、何度か連れていってもらったが、小さなハコは常連の人間関係が密にできあがっているようで、いつもDJを中心に何に盛り上がっているのか新参にはわからないという状態だった(最新のナンバーどころか今年の服さえもわからんようではな……)。
いわゆる「イケてる」という価値観が、最盛期を迎えていたころだと思う、僕はその「イケてる」世界を遠く見遣りながら、そこにいる女の子たちにずっとあこがれていた。

そうこうしているうちに、僕も少しは、その「イケてる」女の子と、少し絡めるようにはなっていったのだった。
しかし、今考えれば不思議なことに、その「イケてる」女の子のことについては、セックスを含めすべてのことが記憶に残っていない。
あのとき「イケてる」は、確実にまぶしかった、それを否定したら揶揄したりする感情は僕の中にはわずかもないのだが、けっきょく「イケてる」が何だったのか、それは確かにあったものなのか、僕はそれがわかる当事者にはなれなかった。
あのとき「イケてる」の中にいた、まぶしい世界の当事者たちは、その中でたくさんの夢を見たのだろうか? あれから十五年ぐらい経っているはずだが、あのときあそこにあったものは光だったのか、それとも泡沫に過ぎなかったのか、できれば当事者の話を聴いてみたいものだ。

その後、テニスサークルはダンスサークルに引き継がれ、「イケてる」はリア充を経て「○○映え」に引き継がれていった。

猫も杓子もダンスサークル、という時代もあったな、麻布ではスケベ心の収まらないオジサンから、週に二回ぐらいサルサ・バーに誘われた記憶がある、その後はダーツ・バーがやたらに流行ったりもした。
僕はすべての光景に「光」を見つけて、無心にあこがれていたのだが、よくよく考えたら、それが当事者にとって「光」だったのかどうか、一つも確認しないまま来ているのだった/つまり僕は、世の中のことを何一つ知らないで、すべてを僕自身の想像力によって眺めてきたのかもしれないのだった、そのことについての反省は、むろんするはずがない。
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