☆いい女☆で行こう!

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正しき助手席のガーリー
流ドライバーが、スポーツカーを運転するその助手席に、あなたが乗っていたら、あなたは鮮やかに流れる景色と、躍動するエンジンおよびステアリングから、「高い世界」を見ることになるだろう。
それで、高い世界を見たからといって、自分が運転席でハンドルを握れば、同じ世界が……見えるわけがない。
どれだけ高い世界を見せてもらったとしても、自分はヘボドライバーのままだ。
ヘボドライバーが運転すれば、ヘボ景色とヘボエンジン、ヘボステアリングによる「ヘボい世界」を見ることになる、それについて「あれー、おかしいなあ、こんなものじゃないはず」ということ、それが間違っている、それは「おかしいなあ」ではなく「合っている」のだ、自分の実力から見た世界はそのようなヘボさで「合っている」のだから、疑問をもつべき由はない。

同じことが万事について起こる。
一つの音楽、一つの歌、一つの場所、一つの景色、物語や世界愛、一つの夜や詩文について、「高い世界」が見えることがある/「見せてもらっている」ことがしばしばある、あなたが助手席に座っていて。
助手席に座って、「高い世界」を見せてもらっているとき、自分の身がヘボプレイヤーだというようなことはすっかり忘れているものだ、自分も「高い世界」の住民であるように錯覚する。
助手席の時間がすぎ、助手席から降りたら、いつもどおり自分の車の運転席に座らなくてはならないのだが、そこから見える「低い世界」に落胆する、それで女の子は「こんなのわたしの世界じゃない」と言い張りたくなり、「わたしがこんな低い世界に押しやられているのは誰のせい!? あなたのせい、それともあの人のせい!?」と狂い始める。

高い世界を見た/見上げてはいなかった。

正しき助手席のガーリーは、「高い世界」を見たとき、目を丸くして口をあんぐり、「す、すっごーい!!」となるべきだった、しかし現代ではそういう教育を受けていないだろう、貧しき助手席のガーリーは「いぇーい」となった、平等ということは誰もがその高い世界の身分を己に認めるということだ。
貧しき助手席のガーリーは、本質的な努力ができない、努力せずとも元々高い世界に住んでいるはずだからだ、そこに実際には出現してしまう低い世界について、耐えがたい憎悪と憤懣が起こる/「お前の車線変更は危なっかしいなあ」と言われると、低い扱われ方に殺意が湧くのだ。
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