☆いい女☆で行こう!

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アカンアカンそれはマジにあかん3
には、大切な女がたくさんいるので、セクハラという事象の存在を、たいへん憎んでいる。
実際、僕がやっているパーティ企画でも、男性によるセクハラ行為に対しては監視が厳しく、男性陣の萎縮ぷりったらない、それについては女性陣からむしろ「男の人たちがかわいそう」という同情の声があがるぐらいだ。
けれども、そこは甘くできない、それどころかもっと厳しく取り締まらないといけない、これはマジだ、現代の男はとてつもなくバカなので、まともな入口に至るまでは決して甘やかしてはならないのだ。
まともな入口とは何か、それがだから「愛」だと、アホみたいなことを繰り返し言っている、たとえば犬を愛していないおっさんが、「この子犬かわいいな」と、ペットショップから買って帰ったら、そのあとは悪夢のような地獄絵図が待っているだろう、何しろ愛していないのだぜ、愛してもいないのに「欲しかったから」といって子犬を買って帰っていい世界がどこにある? 愛について覚醒するまでは毎日のドリンクが煮え湯でよろしい。

愛というのは、何も難しいことではなく、ただ「ありえない」というだけだ、それは不可解なだけであって難解なわけではない。
愛というのはつまり、「欲しい」の代わりに「あげたい」が出現するだけだ、欲しくてムラムラするのではなくあげたくてムラムラするというだけ、これは単純な話だが、ありえるかありえないかでいうと現実的には「ありえない」としておいたほうがバランスがよろしい。
まもなくやってくる初夏に、僕が女を拉致して、日本海側に連れて行く、そこで何をしたいかというと、僕が何を欲しがっているというのではなく、その女に富山湾のホタルイカを食わせて「あげたい」のだ、丁寧に仕事されたホタルイカの沖漬けを食わせて「あげたい」、見霽かす初夏の海を目の前にしたままナイロン袋から沖漬けを手づかみで食う光を見せて「あげたい」、そう思うとムラムラしてたまらなくなるぜウオオオオひゃっはー、というのが愛だ。
あなたは伊勢丹に行くと、「ヤバい、このバッグ、超欲しい」とはなるだろうが、「ヤバい、このペン、九折さんに超あげたい」とはならないだろうから、僕に対する愛はない、それが間違っているというわけじゃない、それで「合っている」のだ、だからあなたは僕の言うところ、「存在しているだけで性暴力」ということに対して、「うーん、それは確かにそうかも」と納得する、ただそれだけのことだ。

本当は、あなたが僕に「あげたくて」来るのが、あなたにとっても一番気楽だ。

なぜなら、あなたが僕に「あげたくて」来ているなら、僕がそれを奪うことは(性)暴力にならないからだ、これによってのみ(性)暴力の被害者は消滅する/ただしこの「愛」は現実的ではないのであくまで仮想の思考実験でしかない。
このことは原理的にはスッキリカンタンに見えるけれど、正しく現成しようとすると「原理的に不可能じゃね?」という循環に陥るのだ、なぜなら愛というのは、「あげよう」「与えよう」と努力することではなく、「こころのまま」にしてみたところ、「あげたい」「与えたい」というこころが爆発する>>ということだからだ/「こころのまま」にしてしまったら「欲しい」ばっかりになるでしょ? それが「愛」がないということだから、愛というのはシンプルだが現実的は不可能、さらにいうと「見当たらない」なのだ、努力で済むなら誰だってとっくに愛なんか獲得済みに決まっているだろう。
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