☆いい女☆で行こう!

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アカンアカンそれはマジにあかん5(終)
ーむ、本当はもっと別にいい話があって、こんなことを話したいのではないのだが、今ちょっと事情があってな。
僕は、自分の大切にしている女が、セクハラ被害や恫喝に遭って、吐き気がするほど厭な気持ちになったことがある(何度もある)。
けっきょく、女性が非力だということにつけこんで、サイテーサイアクのことしかしないよな男ってと、全男性の即時消滅を願ったことは何度もあるが(もちろん僕自身を含めてだ)、何しろ僕自身が男なので、どれだけ同情ぶっても意味がないというか、同罪人だけに逆にキモチワルイのだった、それよりはまだ目の前で舌を噛んで死んでくれたほうが女性にとっては誠実さが見えるだろう。
僕はきっと、多くの女性よりも力があるので、別にセクハラ男といわず、赤子まで含めて男という男を殺害してまわるという手もあるのだが、それを成し遂げて後ちゃんと自分も自殺するということまで含めると「うーんそれもアリだなあ」と思える一方、どうもそのことを正しい金剛乗で成し遂げられる自信がまったくない/金剛乗とは純密密教でいうところのヴァジュラ・ヤーナで、つまり帝釈天の持っている金剛杵で「殺害の功徳」(罪業しか生まない者は最速で殺すのが功徳)を積むというようなことなのだが、そんなことを正覚してやれる気が全然しない、何しろ金剛乗って大乗・小乗のさらに上位の「乗」だからね、凡夫にはムリ&ムリという気がする。

男というのは存在するだけで性暴力の装置だ、それがオメェ、非力な女性に力で詰め寄るなんて、カマドウマのオスよりもサイテーなもので、縛り上げて列車に轢殺させても何の痛痒も覚えないだろう、むしろ「功徳、功徳」という感じがして正当なものだ(そんなもん踏まされた鉄道会社は大迷惑だが……)。
まあしかし、縛り上げて列車に轢殺させるというのは、KKKが有色人種を処刑するときに使っていた方法だ、KKKも「蛮行が過ぎる有色人種どもを、こらしめて躾(しつけ)る」という精神からスタートしているから、いや逆にここは、KKKに倣ったほうがよいのかもしれない。
例外的に、愛があれば、確かに「わたしはこの人から性暴力を受けることが幸せなのに?」ということになり、例外的に男の罪業は消えるが、そんなありもしない可能性についてを、よりにもよって性暴力男連盟筆頭の僕が主張しても、何の値打ちも説得力もないのだった(うーむ、やっぱり黙って土下座しているのが最善だったか)。
何をどうすることもできないので、けっきょく男女双方とも、「愛はないので必ずリベンジ(復讐・報復)に行き着きます」ということを、前もって知っている道標にしておくしかない、生きる目標は復讐だ/そんな未来に向けて何十年も生きるのかよということにガックリくるが、よくよく考えれば、「愛をもたずに生きていくのはすっごく無意味」ということなので、もともとこれで合っているのだ、どこも間違っていない。

女性だけ拳銃を携行できる、というようになれば、バランスが取れて、大戦争が始まるだろう。

男性は頭がパーなので、女性に拳銃を向けられて屈服するぐらいなら、ここで死んだ方がいいわとなって、その後はピストルとチンコのどんちゃん祭りが始まるだろう、もともと現代の男性なんて憂さ晴らしに死ねる場所をいつも探しているようなところがある、「めちゃくちゃに襲ってから死んでしまえ」と男たちはノリノリのギャング団を形成して町中にはびこるだろう/そのときどれぐらいの加速度で流血が起こっていくものか、単なる学門として正直なところ興味はある。
うーんけっきょくのところ、僕のようなクズ男は、セクハラというクソと、そのクソを撲滅させるべきという切実さに、本心からの興味が持てなくて、愛のあるなしがどのように反映された結果をもたらすかにしか興味がないようだ、リベンジの魂が満たされたとき、何が得られるのか僕にはわからないが、せめて不幸ではないものが待っていますように、そのとき僕は日の差すところの岩陰にガスのように吹き込んで消えてしまっているだろう。
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