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「おかげのかたまり」理論2

とえばこのブログがえんえん続いているのだって、誰ぞ読んでくれる人がいるおかげだ、つまりあなたのおかげで続いているといって、何らウソではない、少なくとも「僕のおかげ」で続いているわけではない/誰も読んでくれなかったら僕はソッコーでやる気をなくすだろう。
このブログもそうして、クソみたいなお前らのおかげ、たまには一通のセクシー写真つきメールでも送ってくればいいのに、何一つ送ってきやがらねえお前らのおかげだ、もちろんお前らのおかげだからといって、「感謝」なんかしない、「おかげ」というのは構造だから感謝なんて必要ない。
まあ、感謝というのも、ほじくられるとこっそりあったりもするが、それがあるにしても、それを打ち出すことは何の足しにもならないハズレだ、必要なのは理知的に「おかげ」の構造で万物が成り立っていることを見抜くこと、これが見えないのは「ただのバカじゃん」でOKだ。
このブログでさえ、何ぞの「おかげ」で成り立っていて、別に僕の「おかげ」ではないのだったら、こんなブログなんぞ、その何ぞの「おかげ」に放り込んでしまえばいい、そして万物がもともと「天地のおかげ」だというなら、放り込んだものは元の天地のつながりに返納されて機能するだろうよ、じゃあそれでいいじゃないか。

要は、すべては「天地のおかげ」と、思え、ということではなく、「天地のおかげ」ということに、気づけ、ということ。
そうしたら当然、「こんなもんわしゃ知りませんわ〜」となって、全身全霊、天地の仕組みに放り込んで「好きにしてくれ」となる、そうしたら割と、何が疲れるというわけでもないし、割と以前よりナイスグッドで活躍する。
風習的な「おかげさま」で、頭を下げてヘコヘコしろということではない、たとえば僕が何となくの気分で後輩の尻にケリを入れるのだって、天地の「おかげ」なのだ、そもそも天地がなかったら後輩の尻にケリを入れたりはできないからな、そして天地に与えられた万物のあるがままにケリを入れているだけだ、そういうとき誰もイヤな気分にはならない、自分たちが世界と剥離していないことがよくよくわかる。
今日も太陽がウォリャーと光っていたわけだが、何もおれのおかげで光っていたわけではないので、「今日も太陽さんはがんばってるね、うふっ」みたいなことは言わなくていい、「うむ、今日もおれのタメニ光っているな」というのはまあ間違いではない、ただ「おかげにしても世界が照らされすぎやろ、なんやこの太陽ゆうやつ……」とどこかでビビるぐらいの気持ちはあっていい、よくよく見渡すとあまりに多くの万物の「おかげ」に包まれていて、「マジか」とビビるぐらいが人間としてまともな感覚だ。

頼むからmy感謝をやめろ、そんなものなくたって万物の「おかげ」だ。

「わたし」が心臓から出奔している状態だと、万物の「おかげ」はわからなくなる、そのぶん何につけ、誰かの「せい」、何かの「せい」ということに、爆発的な苛立ちが起こるようになる、「信号のおかげで交通が成り立っとる」とは見えなくなり、「信号のせいで停止させられて移動に時間がかかる」とイライラするようになるのだ、まさに気が狂っているのだが本当にそうなるのだ。
よくよく見ろ、誰がどう見たって本当に、信号のおかげで交通は成り立っているだろ、そんなところに「my感謝」なんかするのは絶対にやめてくれ/現在の僕があるのはイニシャルAさんとBさんとCさんと(中略)Zさんのおかげだ、何一つ「おかげ」で成り立っていないものは存在しない(なんて春の風が取り戻される話だ!!)。

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