☆いい女☆で行こう!

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射精する役と、射精させる役

れぐれもいうが、セックスなんて、別に必須のものではないので、無理にやらんでよろしい。
ただ、あくまでセックスを「する」ということになれば、射精する役と、射精させる役に分かれる、これだけはさすがにいかんともしがたい。
結論からいうと、男性が射精に向けて高まるとき、気持ちが「荒れていく」女性は、残念ながらハズレだ、どこで何を呪ったのか知らんが、魂は闇に向かっている(沈降)。
一方、男性が射精に向けて高まるとき、気持ちが「穏やかになっていく」女性は、幸いなことにアタリだ、わざわざ気分を高めなくても、魂は光に向かっている(上昇)。

ただしそれは、「満足感」ではない、女性なのだから男性に射精を向けられると、一定の満足感があるのは当たり前だ、そのことはアテにならない。
男性が射精に向かうとき、何が起こるかというと、女性の側には「こればっかりは自分にはわからん」なのだ、女性はどうしたって射精はできないからだ、そのとき女性は自分の身が射精「させる側」だということに向き合わされることになる。
もちろんその射精に、直面しないように、そっぽを向いているようにすれば、情緒的な動揺は起こらない、だからそっぽを向いているか、こころのつながっていない男性と寝る場合には、アンアンしたりさせたりを楽しんでいれば、それだけで終わるので何の問題もない。
男性が射精に向かうとき、女性から見ると、「この人はわたしにないものを持っている」「だからこの人はにこの人だけが持っている世界がある」ということがわかってしまうのだ、それを見て「イヤだ」と内心が叫ぶ人は気持ちが「荒れていく」、「どうぞ」と内心が送り出す人は気持ちが「穏やかになっていく」/女にはない世界があるというので、「イヤだ」もしくは「いってらっしゃい」と、二つの感情に分かれるのだ、片側だけが世界を持っている特権階級なので、平等主義だとこの瞬間は「イヤだ」という感情に傾く、むしろ「イヤだ」という感情のほうが倫理上は正しいのかもしれない。

射精させる役は、さびしい。

射精させる役は、自分が射精はできないので、射精する役を世界に向けて「いってらっしゃい」と送り出すことになる、自分はその世界へゆけないのでさびしいのだ、このさびしさは自己愛に向けては明らかにマイナスなので、自己愛が失せるほど目の前の男を愛していないと、「わたしはさびしくていいの」と引き受けることはできない、むろん女性は憤怒していいのだ、これほどひどい男尊女卑も世の中にない。
けれども「世界」というのは、もちろん射精することの「世界」しかないわけではないし、他の世界を自分で掴める方法はいくらでもある/そして女性が何かの世界を掴んで、射精の世界については「いってらっしゃい」「わたしが射精させる側を引き受けられるのなら光栄だわ」「見送る側はいつもさびしくていいの」と引き受けられるなら、セックスはずいぶんまともで穏やかなものになる、一方自分で何の世界も掴めていない女がセックスをすると、どうしても麻薬依存的な状態になり、射精「させる側」へ置き去りにされるときには異様な気持ちの荒れが生じる。

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