☆いい女☆で行こう!

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LGBTについてはまったくわからん

の回りに、実物がいたことがないので、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)というのは実感としてまったくわからない。
歌舞伎町に行ったとき、キックボードのおねえさん(オカマ)がシャーと滑ってきて、「寄ってかな〜い」と声をかけてくることがあって、その絶妙な登場のしかたに大爆笑したことがむかしあったのだが、たぶんこんなオモシロなものは、昨今言われているLGBTとはあまり関係がないのだろう(そうでもないの? 本当にまったく知らんのでよくわからん)。
昔、「保毛尾田保毛男」というホモアピールのコントキャラクターがあって、現代ではこれがLGBT差別だということで大バッシングされているらしいのだが、しかしあんなオモシロキャラを見せられたら笑わないわけにはいかないし、一方で「バカ殿」だって若い娘にひたすら鼻の下を伸ばしているのを見て笑ってしまうので、それを笑ってしまうかどうかというのは性愛が同性か異性かにあまり関係がないのではないかと思う。
LGBTというのは、感覚的に「まったくわからん」というのが正直なところだが、それについてどう思うかというと、正直「どうとも思わない」ので、もしそれに向けて差別の卑しい眼差しを向けている人があるのだとしたら、それは「どんだけヒマやねん」としか思えない、僕は女の尻を追いかけ回すのに忙しく、ヨソの男が「実は男の尻を追いかけています」というようなことに、いちいち関心やコメントを向けていられない、仮にその男が回転中の扇風機とセックスしていたとしても、そんなことには僕は何の意識も感想も持てない。

僕は、たとえば四十歳の男が十五歳の女の子に恋をしているのを見たとしたら、様相にもよるが、それについては「きもちわる」と思う。
だから、四十歳の男が十五歳の男の子に恋をしていたとしても、それを「きもちわる」と思うだろう/僕が「きもちわる」と思うのは、性愛の形式ではなくその当人の陶酔気質とナイーブさについてだ。
僕が、X歳の女性に恋をしたとしたら、僕は無条件でそのことじたいを「きもちわる」と自分で思う、そりゃ当たり前だ、チンコの生えた者がオメェ、「恋」(草不可避)なんかしたら、自分は気分がよくて絶頂モノなのかもしれないが、はたから見りゃキモチワルイんだよ、同性愛も異性愛も関係あるか/「恋」なんて、ぶっちぎりの美的な奴にしか似合わんもので、われわれが入れあげてよいのは恋ではなく「トンコツラーメン」あたりだ、トンコツラーメンでミソ味がマイノリティだと差別されても誰も社会問題には扱わないだろう。
もし繊細なホモの少年が僕の前に現れたら、ズッタズタにされるだろうが、その点は心配いらない、繊細な異性愛の少年が目の前に現れたって、ズッタズタにされるのは同じだからだ、繊細・陶酔してナイーブになっている奴が周囲に庇護してもらおうという主張に転じるのは愛ではなく魂においてキモチワルイのだ/もしおれが「ボクの恋……」とか言い出したら死ぬほどキモチワルイだろ? お互いにそんなしょーもないものはズッタズタにしていこうじゃないか、魂はどうよ、魂がヨレヨレじゃ異性愛でも同性愛でも救われないのは大前提だ。

同性でも異性でも、「恋」なんてキモチワルイもので、唯一例外は、「かっこいい」にまで至った奴だけだ。

僕の敬愛するシンガー、ロブ・ハルフォードや、同じく敬愛する偉大な指揮者、故バーンスタインなどは、どちらともゲイの人らしい、僕にとってはゲイというのはよくわからんが、とにかくかっこいい人たちなので、何も気持ち悪くない、実際ロブ・ハルフォードがゲイをカミングアウトしたとき、たしかファンのあいだでは何のリアクションもなかったはずだ/なんつーか、今「彼はゲイだ」と言われても、「あ、そういえばそうだったな」としか思わん。
というわけで、もし僕自身、陶酔気質のナイーブ異性愛くんになったとしたら、あらゆる形態や事情を無視して「キモチワルイ」と、石を投げつけて差別してよろしい、ただしかっこよかったらキスを投げつけて祝福するように、そりゃ両方なかったらバランスが崩壊しているだろ/さあお互いに、悪あがきはよそうな、かっこよくなれないと石を投げつけられるのが本分だ、石を投げつける軍勢は「ヒマ人」につきるのだが、世にヒマ人の尽きたためしはないんだ。

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