☆いい女☆で行こう!

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「動力」について、身も蓋もない話
、たとえば「こういうパワハラがありました」「なくなるべきだと思います」という詳細なレポートが報告されれば、大いに「共感」を呼び、レポートは多数の人にシェアされる。
一方、たとえばマハトマ・ガンジーが、非暴力主義を保って「塩の行進」を成し遂げたということが話されても、まったく共感を呼ばない、「ふーん」「すごいよね」という感想しか出てこないのだ。
なぜこうして、「共感」に差が出るかというと、身も蓋もない話、全身が「イヤな身体」になっているからだ、「イヤな身体」になっているので、「イヤな話」にだけ共感が起こるようになっているのだ。
ひっでえ話だが、これがガチのマジだから、しょうがないぜ、体内に「イヤな」物質が流れているので、イヤなものにだけビビッと反応する「体質」なんだよ、そして「偉大な」「光ある」「世界愛」のものには、反応する気質がすでに体内に残っていないのだ、このシャレにならんヤバさが本質であって、正直もうヨソのことに首を突っ込んでいる余裕は誰にもないぜ。

たとえば、ある男が、世界旅行をしている中、貧しい国の人々がマクドナルドに行列を為しているのを見て、「貧しいということは、なんと悲しむべきことだ」「大好きな人と、大好きな食事をする、それが第一のことで、かつ最高のことじゃないか」「おれはそのことを実現するための仕事を為そう」と決意した、そしてこの男は、安くおいしいものを豊かに食べられる飲食チェーン店を創りあげていった。
これは、「ワタミ」の社長の実話だが、今「ワタミ」の社長というと、どうよ、ただちに「ブラック企業!」「過労死!」「サイコパス!」ということしか反応が出てこない、そりゃそういったトラブルがあったことは事実だが、かといってここに話された逸話も別にウソというわけではない、だがこちらの逸話にはすでに体質的に反応も共感も起こらないのだ。
人は、共感のない中を生きてはいけない、エネルギーが得られなさすぎるからだ、だから「共感」を探しながら毎日を生きているのだが、結果的に「憂鬱探し」「最悪探し」「怨恨探し」をして、そこに起こる共感をエネルギー(動力)にして毎日を生きていっているのだ、そうなると今日のぶんのエネルギーは得られるかもしれないが、当の「体質」はますます深まっていってしまう。
ブラックで怨恨のつもることに対して、「許せない!」と声を発してみろ、するとその声は血気を帯びて強く出ることがわかる、一方で、たとえば杉原千畝がユダヤ難民を救ったことに対して、「偉大なことだ!」と声を発してみろ、するとその声は上の空になり強くは出せないことがわかる、それは「ブラックな怨恨に力を得る体質」になっているということだ、おめぇの全身、その血と肉と神経がだよ、これはいったんそういう体質になると、もう逆方向の体質がありえることがわからなくなるんだ。

正義を確信しているわりには、腹の底から「あっはっはっは!」と笑えなくなっているだろ?

「正義」という看板が出ていたとしても、実際にそのテーブルで啜るのは怨恨ブラックの暗愚の毒なのだ、この毒には人を駆り立てる力がある、それは蠱術といって呪術のひとつだ、この毒で今日は駆り立てられてエネルギッシュに過ごせるが、体質はどんどん沈降していく/「怨恨ブラック体質」になるというのが、どういうことだかわかるか? 自分の発するすべての声に、その怨恨ブラックの波長が乗っかるということだ、そうすると同じ体質の人を強力に呼び寄せ、異なる光の体質の人から忌避されるようになる、そしてこの体質は、多くはもう一生変わらないのだ、まして光の体質の人からは「その声と目の色がムリ」と言われて遠ざけられるのだから本当にもうどうしようもなくなる。
というわけで、僕のこのブログは、もう十数年やっているのに、ちーっとも誰にもシェアされないし、誰の共感も呼ばないのだが、それは僕の声が怨恨でもなければブラックでもないからだ! 僕の小論がつまらないからでは決してないぞ/当ブログは、多くの人には「体質に合わない」と言われるだろうが、そりゃこちとら本望だし本分よ、ということなのだが、それにしてももうちょっとカウンターが伸びないかなーと、そういう希望もないではないのだった(具体的な方策はまったくない)。
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