☆いい女☆で行こう!

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「動力」について、身も蓋もない話2
が商社にいたとき、残業代はいっさい支払われませんでした。特に若手は、残業代など請求するものではないというムードがあって、そういうものなのかなと、請求の書類さえ手にすることがありませんでした。そうすることで、当時の僕はその場のしきたりに素直に従っているつもりでいました。今考えれば、それは不当以外の何物でもないとわかります。一方、若手の僕に向けられる上司の口調は、いつも指導というよりは「ののしり」でしかありませんでした。上司は典型的な気分屋で、その日の気分によって人を罵倒し、気が済むまでネチネチ言うのをやめてくれません。僕はやがて、ストレスから耳がおかしくなったのか、電話のベルがどの方向から鳴っているのかわからなくなっていきました。そんな中です。当時、残業代が支払われたことは一度もありませんが、思い返せば、残業しなかった日は一日もなかったのです。いつも時間外の、通用口から退社して、正門から退社したことは一度もありませんでしたから。
細かく計算したことはないですが、あのころ、残業代がきちんと払われていれば、僕はいまごろ、まともな新車の一台でも余裕で乗れていたはずです。残念ながら今はお出かけはいつもレンタカーですが。今さらになって、あのころのことをぶつくさ言うつもりはありません。そういう時代だったのだと思います。ただ、今こうして僕がお話しすることが、かつてのような悪習を撤廃する一助になればと思い、また僕自身、過去の事を振り切るためにも、こうしてお話しすることに決めました。みなさんそれぞれに、色んなことがあると思いますが、とにかく自分は前向きに生きるのだということを忘れずにいましょう。自分が彼らのようにならず、かつ幸せになってみせることが、最大の報復になると思いますから。
↑たとえばこういうふうに書けば「いいね!」をつけてもらえたり、シェアしてもらえたりするのだろうか、いちおう書かれてあるエピソードは事実で、残業代は0円だったし残業のない日も0日だった、電話のベルがどの方向から鳴っているかわからなくなった時期も実際にあった。
実際に相当キツかったし、相当ツラかったはずだし、給料も月末には本当にカツカツで暮らしていたのだが、なんというか、正直あんまり何も考えていなくて、夜遊びにいくと「お前いっつも幸せそうやなあ」と言われる始末だったのです……何もかもにシャカリキになっていて、もちろん上司にはウンザリしていて、ときには「このヘタレが」と怒号で反撃したりもしていた(ひでえ新人だな)けれど/そしてもちろん辞職したわけだから、それだけ「やってられるか」という状態だったわけだが、正直そこはあんまり覚えていない、ただ銀座や六本木の夜の景色や、有楽町の喧騒、そしていろんな人に出会って、追いかけたり笑ったりセックスしたり、今思えば「ビョーキかというぐらい若かったな!」ということだけが笑いたくなるほど残っている。

まあ夜中の二時から合コンとか行っていたからね! 某日朝にはガチで「わたしとのことは遊びだったのね」とメールをもらい(リアルには珍しいだろ)、しかもそのメールをくれたのも正直誰のアドレスだかわからんというありさま、そして連日の放蕩から睡眠不足で、通勤路を歩きながら眠ってサザンカの植え込みに突っ込んだり、オフィスのトイレのウォシュレットを尻穴に受けながら四十五分間昏睡したり、朝起きると真っ白なラブホテルにいて場所を調べてみると「なぜおれは吉祥寺にいるんだ」と真剣にビビってみたり、クリスマスイベントに向けた準備のせいでついに帰宅時間がなくなり一カ月ぐらいは会社の地下室に勝手に自室を作って住みこみ「ウチくる!?」ごっことかやっていたりした(正直あの地下室住みは、風呂が無いことを除いてはとても快適だった)。
こちらのほうもすべて事実なのだが、こちらの話には「いいね!」をもらえない気がする、こんな思い出話がシェアされてバズった例はないものな/なぜなら、ここには何の正義も教訓も含まれていないし、何より「共感」が湧かないからだ、「チラシの裏にでも書いてろ」と言われるたぐいだ、なぜかこういう話は多くの人が好きじゃないというか積極的に「きらい」という向きまである。
しかし、冷静に考えてしまうのだが、先に話した「ストレスの中で残業代もなかった」という話のほうが、こちらの話よりも「いいね」なのだろうか、僕は自慢話がしたいのじゃないし、自分の話の押し売りをしたいのでもない、僕は割と元気な奴だったのだと思うが、それを誰もが同様にすべきだと誰かに強いるつもりもない。
ただ、「体質」が怖いのだ、怨恨ブラックには数万から数十万の「いいね」がつき、祝福のわっはっはには「共感が湧かない」というのは、体質としてヤバいじゃないか/僕のバカ話を聞いて「エネルギーをもらった」という人はとても少なくなったが、時代をさかのぼれば、僕はいつも「エネルギーをもらった」と言われる側だったのだ、何が変化したかというと、生身のエネルギーの問題なのだから、「体質」が変わったというしかない。

二度とやりたくねぇが、あのときの体験と記憶を愛している。

まさにこれに尽きると思うのだが、愛していない体験と記憶、つまり怨嗟している体験と記憶に、「いいね」がついてまわるのはなぜだろう、僕は僕の友人に向けては伝えておきたい、怨嗟に火が点き、「癒し」にホワワーンとなる、そういう体質になってはダメだ、もうすでに、根本的に世の中と人々を憎むことをエネルギー(動力)にしてしか生きられなくなった人がたくさんいるのだから/「真似できねぇし、真似したくもねぇけど、グレートだわ」と笑えることに「よーし」と火が点くようでぜひあってくれ。
僕は受験生のころは、短期集中で一日十五時間勉強していたし、就職活動中はまた睡眠不足で、東京駅の地下コンコースの階段で寝ていて駅員に怒られたぞ、そのあとは神田のガード下のベンチで寝ていて、しかも活動資金がなくなったので後輩に五万円借りたのだが(未だに返済していなくてたまに脅されている)、そういうなるべく元気でいこうということは現在も続いている、「体質」がこっち側にくればこんなもん、さして無理してやっているたぐいでもないよ(あ、無理をするのは当然ダメです、ナチュラルにいきましょう、僕は何一つガンバってはきていない)。
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