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[大事なこと]合掌するこころの方法

囲気だけ荘厳にして合掌ペコリしてもあまり意味がない。
何のために合掌して、低頭し、祈るふうになるか、マジのところを教えておいてやろう。
お前らみたいなモンは、こころが弱いせいで、マジの愛やマジの感謝、マジの悲しみやマジの希望、あるいはマジの幸運やマジの僥倖が胴体に流れ込むと、胸がつぶれるのだ、マジでホンマモンのそれが流入すると、本当に「だめ、苦しい、本当に死んじゃう」となる、本当に叫び声をあげて精神病になる可能性さえある。
だから胸元で合掌する、合掌して……両手の先がとんがるわな、それで頭を下げるというか、身をかがめるふうになるけれど、あれは何をやっているかというと、つぶれそうな胸のエネルギーを、合掌(合わせた手のひら)に流し込んで逃がしているのだ、「こころ」がキャパシティオーバーになったときに、とっさに取る体勢、ベント(通気孔・減圧)して破裂を回避する体勢があれなのだ。

キリスト像や仏像、そうして何かしらのイコンに拝礼するときや、あるいは空や太陽に向けて拝礼するときも、その合掌の向けられた先には「カミサマ」があるだろう、何か苦しいときにはお地蔵さまに拝礼するかもしれない、とにかく合掌して身をかがめて、あれは何をしているのか。
自分の身に起こった激しい「こころ」、それが自分の「身に余る」ので、身が破綻するのを防ぐために、「こころ」のエネルギーをカミサマのもとにお送りして処理を頼んでいるのだ、特に愛や感謝については「ありがたすぎて、カミサマにお返ししないと、身に余る度が高すぎて自分で怖い」ということがあるはずだ、それで合掌して深々と拝んでいる、余剰分をカミサマに返納している。
この方法を知っているから、人は思い切って、こころを開いて生きていけるのでもある/逆にいうと、この方法を知らないあるいは信じないという人は、こころを閉ざしてしか生きていくことができない、そりゃテメーの「こころ」のキャパシティなんてたかがしれているものなのだから、これなしでヨユーで生きているやつは単にこころを閉鎖して生きているだけだ。
そして、ぜひこのことを知っておいてほしいのだが、合掌して拝んで「こころ」の負荷オーバーをベント救済できるという方法を、自分に常に「準備」しておくと、それによってはじめて「こころを開けた」というケースも出てくるのだ、「実はこれまでこころを開けなかったのは安全装置がなかったからなんだ」ということが実際にけっこうある/この方法は本来、大人から子供に絶対に伝授されなくてはならない方法で、この方法を与えられていない者は、そのあと数十年にわたって人の愛をブロックしてしか生きられなくなることがよくある。

おれに感謝すんな、身に余るものはカミサマにお返ししろ。

人から人への「お礼」や「感謝」でことが済むのは、あくまで両者の「こころ」や「愛」のスケール(および威力)が、同等程度で釣り合う場合だけだ、それが釣り合わない場合なんかいくらでもあって、「身に余る」ということはしょっちゅうある/そうして身に余るものを正しくお返ししないと業(カルマ)が溜まってえらいことになる、誰でもそういう直観はあるものだ、だから何であれ正しいところにお返ししたい……として身をかがめる行為に出ることを「サービス」という、サービスが「礼拝」「勤行」の意味を持つことは辞書を見たらちゃんと書いてある。
人は、「サービス」でお返ししないと、業(カルマ)によって身が(特に胸が)つぶれてしまう生きものなのだ、どいつもこいつもやり方をちゃんと覚えろ/合掌を額に当てるやり方もあるがこれは高度な思念に用いるもので一般的ではない、基本は胸の前(両乳首の中点)だ、そこに手首というか親指の付け根をピタッとつける、合掌に胸を乗っけるぐらいのつもりでよくて、合掌が胴体から浮いていると効果はだいぶ減ってしまう、そして両肘をなるべく張らないこと、腕が力むとただの上腕筋のトレーニングになってしまう、あくまで胸(こころ)のエネルギーの処理不能分を合掌からカミサマに向けて処理をお願いするということだ、この処理を知らないと人はこころの過剰分でハチャメチャに苦しんでしまう。

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